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LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

いやなんか、まったくミステリでも何でもないわけですが、今日たまたま「Haaretz」紙で標記のスピーチの全文を読み、ついつい読みふけるとともに、柄にもなく和訳してみようかなどと思い立ちまして。
ということで、今回はあくまで自分のためのメモであり、感想としてもご紹介としても体をなしていませんが、言葉の力ってこういうものなんだな、みたいな、やむにやまれぬ衝動によるものとご理解ください。

やれやれ、もちろんわたしに翻訳スキルはありません。
わからない単語はとばしたりしてますので決して信用なさらないように。
・ネット上だけで、すでに無数の訳が出ています(村上春樹文体のものまで)のでそちらを参照されたほうがいいかも。
・むしろ誤訳等お気づきのことがあればばしばしご指摘ください。

ちなみにエルサレム賞とは、1963年に創設された、イスラエル最高の文学賞。
「社会における個人の自由」をめぐる優れた執筆活動に対して隔年で贈呈されるもので、バートランド・ラッセル、シモーヌ・ド・ボーボワール、近年ではスーザン・ソンタグなど、錚々たる名が受賞者の列に並んでいます。

いつでも卵の側に
村上春樹 2009.2.15
今日ぼくは、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロとして、ここに来ました。

もちろん、小説家だけが嘘つきというわけじゃない、それはご存じの通り--政治家も(失礼、大統領閣下)、外交官や軍人も、中古車セールスマンや、肉屋や、建築業者と同じく、時に応じ彼らなりの嘘をつきます。
ただ、その中で小説家だけが、誰からもその嘘を不道徳と非難されないでいられるし、それどころか嘘が巧みであればあるほど、大きければ大きいほど、賞賛を受けることになるのです。なぜでしょう。

ぼくはこう考えます。
小説家が上手に嘘をつくということは--ほんとうらしく見えるフィクションを以て真実を描くということは--真実に新たな光をあてることになるからだと。
真実をあるがままにつかみ取り、そのまま描くなんて不可能です。
ぼくたちは真実を、何とかその隠れ家から誘き寄せようとする。しっぽだけでもつかめれば、それをフィクションという場所に据え、フィクションの形に置き換えようとする。
真実がこの世界のどこにあるかをはっきりさせること、それが嘘つきの要諦なのです。

でも今日、ここで嘘をつくつもりはありません。むしろぼくにできる限り、正直でいようと思う。
ぼくだって年に2~3日くらいは嘘をつかずにいられる日があるし、今日もそんな1日になるというわけです。

ということで実をいえば--ぼくは、このエルサレム賞受賞にあたり、かなりの人から辞退を勧められました。イスラエルに行くなら本の不買運動を起こしてやると言う人もいました。
理由はもちろん、ガザの激戦です。国連は封鎖されたガザ地区において、千人を超える人が命を落としたと発表しています。そしてその多くが、非武装の一般市民でした--幼い子らや、老人たちでした。

受賞の報せをいただいてから、何度自問自答したか知れません。
こんな時に授賞式のためイスラエルまで行くことが、はたして適切な行動なのかと。
行けばぼくがこの争いの一方にのみ加担し、圧倒的な軍事力を示したこの国の政策を、支持しているように見られるのではないかと。
それはぼくの望むところではありません。ぼくはいかなる戦争にも賛同しませんし、いかなる国家も支持しません。もちろん、自分の本がボイコットされるところだって、見たくない。

ずいぶん考えて、それでも結局、ぼくはここに来ると決めました。
一つには、あまりにも多くの人に反対されたから。たぶん他の小説家と同じで、ぼくは天の邪鬼なのです。
「そこに行くな」「そんなことをするな」と言われたら--それが脅しであるならなおのこと、ぼくは「そこに行きたくなる」し、「そうしたくなる」。それが小説家というものなんです、たぶん。
ぼくたち小説家は、自分の目で見、手に触れたもの以外信じられない生き物だから。

だからぼくはここに来ました。安全地帯に残るのでなく、ここに来ることを選びました。
知らないままでいるのでなく、この目で確かめることを選びました。
沈黙より語ることを、選びました。

といって、別に政治的なメッセージを運んできたというわけではありません。
もちろん、正しいこととそうでないことを見極めることも、小説家には大切なことです。しかしその判断をどのような形で発信するかは、それぞれの作家が自分で決めればいい。
ぼくは自分の思いを、物語の形にするのが好きなのです--シュールな物語に。
ぼくが今日、ここで政治的なメッセージを述べたいと思わない、それが理由です。

ただ、とても個人的なメッセージになるけど、お話ししたいことはあります。
ぼくがフィクションを書く時、いつも心にあること。紙に書いて壁に貼り出すわけじゃないけど、心の壁に刻み込まれていること。
それはこんなふうなことなんです。

「高くそびえる硬い壁と、壊れやすい卵とが対峙するとき、ぼくはいつでも卵の側に立つ」。

そう、ぼくは卵の側に立つつもりです。壁がどんなに正しくても、卵がどんなに間違っていても。
何が正しいかは、いずれ誰かが決めてくれるでしょう。もしかしたら時や、歴史が、たぶん。でも、どんな理由があるにせよ、壁の側に立って書かれた小説なんか、何の価値があるでしょう。

卵と壁のメタファが意味するところは、一見あまりにも簡単、明瞭です。
そびえ立つ硬い壁とは、爆撃機、戦車、ロケット、そして白燐弾。
卵は、それにつぶされ、焼かれ、撃たれる非武装の市民。
そんなふうに。
それも、あります。でもそれだけじゃない。

むしろこんなふうに考えてほしい--ぼくたち一人一人が皆、程度の差はあれ、卵なんだと。ぼくたち一人一人がそれぞれに異なる、かけがえのない魂を、壊れやすい殻に包んでいるのだと。
これがぼくの真実です。そして皆さんにとっても。
ぼくたち皆が、脆い卵として、それぞれぶつかれば壊れてしまいそうな強固な壁に、何らかの形で向き合っているのです。
壁には名前があります、「ザ・システム」という。
ぼくたちを守るべきシステムは、しかし時折、それ自身が別の生き物であるかのようにぼくたちを殺し始め、さらにはぼくたちが互いに殺し合うように--冷酷に、効率的に、徹底的に--仕向けるのです。

ぼくが小説を書く目的はただ一つ、魂の尊厳というものを表に引き出して、光をあてることです。
そして物語の役割とは、警鐘を鳴らすこと。システムがぼくたちの魂をその糸に絡め取り、貶めることのないよう、光をあて続けること。
一人一人がそれぞれにたった一人のかけがえのない存在であると、はっきり伝えられる、そんな物語を--生と死の物語、愛の物語、読者が涙を流し、恐怖に震え、心の底から笑う、そんな物語を書くこと。
それが小説家の仕事だと、ぼくは心の底から信じています。
これが、ぼくたちが来る日も来る日も大真面目に嘘をでっちあげている、理由なのです。

ぼくの父は昨年、90歳で他界しました。教職を引退した後は時折僧侶としての務めを果たす、そんな父でした。
その父は学生の頃、徴兵されて中国へ送られたそうです。
ぼくは戦後に生まれましたが、いつも父が朝食前、自宅の仏壇に向かい長く深い祈りを捧げるのを、見てきました。何をしているのと尋ねるぼくに、父は答えたものです。
戦争で亡くなった方のご冥福を祈っているのだと。敵味方なく、亡くなったすべての人のために。
正座する父の背を見つめながら、ぼくは父の周りに漂う死の影を、その匂いを、はっきり感じとっていた気がします。

今、父は死に、肉体と共にその記憶も失われました。ぼくが決して知ることのない、父自身の記憶が。
ただ、父にまとわりついていた死の気配だけは、今もぼくの心に残っています。父から受け継いだ数少ない、大切なものの一つとして。

ぼくが今日、皆さんにお伝えしたいことはたった一つ、ぼくたちはすべて同じ人間であり、システムという硬い壁の前には等しく脆い卵であるということです。国籍も人種も宗教も、ぼくたちが同じ個人であるということには関係ない。
卵に勝つ見込みなんかありません。壁はあまりも高く、強固で--冷たい。
望みがあるとすれば、それは、ぼくたちが互いの存在のかけがえのなさを信じることによって、齎されるのだと思います。あるいは、魂の結びつきによって得られる温もりから。

ほんの少しだけでいいから考えてみてほしい。ぼくたちの有する、確かにぼくたちの中に息づいている、生き生きとした精神を。システムにそんなものはありません。
システムに搾取を許してはいけないし、一人歩きさせてはいけない。
システムがぼくたちを作ったのではなく、ぼくたちがシステムを作ったのです。

ぼくの話はこれで終わりです。

このエルサレム賞の受賞に、心より感謝します。
世界中の様々な地域でぼくの本を読んでくださっていることに、感謝します。
そして、本日このような場でお話しする機会をいただけたことを、ほんとうにうれしく思っています。

「失礼、大統領閣下」はユーモラスなアドリブであったらしく(会場からは笑いが起こったとのこと)「Haarets」の記事にそのくだりはありません。
同日追記。このスピーチ全文が掲載された「Haaretz」紙サイトには、読者からのコメントも寄せられています。
それを翻訳された方もいらっしゃるのでご紹介。⇒「常に卵の傍に
うーん、なんというか、嘘とか、卵と壁とか、「ザ・システム」とか、そういう比喩は白か黒かの二元論に立つ海外の人には届きにくいのかもしれません。言葉って難しい。村上さん自身は日本文学を読む体験はほとんどなかったと言われているのですが(だからこそ特定の文化に依らない、普遍的な小説を書くと評されているのでしょうが)。

文学と政治、ジャーナリズムを分けて考えるべきか、否か、それは人によって考え方が違うと思いますが、話す機会があるなら話す、書ける時は書くというのが文筆をなりわいとする人の習性だと思いますので、誤解される恐れがあっても
「行って話すことを選んだ」というくだりは素直に受け取れました。
2/20追記。「Sorry, Mr. President」に注をつけました。
また、白(黄)燐弾というのは直訳そのままなのですが、黄燐は白燐の一種にあたり報道でも白燐弾としか言われていませんので、「(黄)」は消しました。
燐が空気中の水分に反応して発火する性質を利用した昔からあるローテクな武器(発煙弾、手榴弾、焼夷弾などに用いる)で、それだけに安価であるため、現代においても使われ続けています。近年、米軍がイラク・ファルージャ戦で大量に用いたことから国際社会の注目を集めています。
しかし「Have you ever seen the rain?(雨を見たかい)」という歌が焼夷弾の“雨”を歌っていたとは知りませんでした。

「卵」のメタファについて、壁にぶつかればつぶれてしまうが、いずれ壁を飛び越える、「鳥になりうるもの」も意味しているのではないか?とコメントされている方がいて、なるほどなあと思いました。⇒「雪街音楽メモ:村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」には鳥と壁、というメタファが用いられているそうです(読んでない)。
2/22追記。思いがけず拍手コメントをいただきましたので、レスは補筆記事にまとめました。この記事にコメント下さった方、及び関心のある方は自分TBの「村上春樹氏スピーチ全文翻訳について、補筆。レスとか著作権とか。」をご覧ください。ついでにスピーチを翻訳することについて、著作権法上の問題も考えてみてますが例によって与太話です。
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2009.02.19 23:36  | # [ 編集 ]

内緒さま、いらっしゃいませ。

初めまして、コメントありがとうございます。
英文翻訳なんて学生時代以来、政治的なことには疎い上に「ノルウェーの森」以降の村上春樹作品はほとんど読んでない(それ以前の小説は読んでますが)というハンデを顧みず、やってみた甲斐がありました。

しかも英文の正しい解釈というのを頭から放棄していたので「仏壇の前に跪く」「仏壇に祈る」って日本語としてどうよ、みたいな瑣末事にばかりひっかかって無駄に苦しんでしまいました…

2009.02.20 09:58 URL | maki #mxyayG2g [ 編集 ]















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いやなんか、まったくミステリでも何でもないわけですが、今日たまたま「Haaretz」紙で標記のスピーチの全文を読み、ついつい読みふけるととも...

2009.02.22 01:03 | LOVE! HEROES!

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