LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

最近美容院に行ったら、女性誌やファッション誌ではなく、「金田一少年の事件簿」コミックス最新3冊くらいを持ってこられたmakiですこんばんは。
以前予約しないで行ったらだいぶ待たされて、その時確かにそこに並んでる「金田一少年」を1巻から順に読んでたんですが、それを憶えられたんでしょうか。場違いでしたか。いや、だって他の漫画はもう読んでしまったので他に読むものなかっただけだったんですが(でも最近のは読んでなかったので結局ありがたく読みました…ちょっと「Q.E.D.」に似たトリックありましたね)。

今年ももうあとわずか。
気忙しいくせに何もしていない、そしてデッドライン過ぎたらたぶん開き直って何もやらない、どうせ何もしないならキリギリス級にのんびり好きにやればいいのにプレッシャーだけ受けてしまう、そんなだめな年の瀬に読みました。

閉じた本(創元推理文庫)
ギルバート・アデア著 青木純子訳
閉じた本 (創元推理文庫)閉じた本 (創元推理文庫)
(2009/12/10)
ギルバート・アデア

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タイトルの「閉じた本」=A Closed Bookとは、即ち読むことのできない本。フィリップにとっての園咲若菜みたいなもので、謎とか闇とかそういうものを表す成語です(もう一つ意味があって、そちらは今閉じられたばかりの本、即ち中断された交渉、終わった会話みたいな意味ですがミステリのタイトルとしては前者であろうと思います)。

タイトル買いしたわけで、アデアについてはよく知らなかったのですが、訳者あとがき、及び解説文には実に多才な作家であることが記されています。
そして本作を一読すれば、それらを読むまでもなく、これが技巧派の手になる作品であることがおわかりだと思います。

この長さでこの緊迫感、そしてこのどんでん返し、さらには結末のインパクト。うまくしてやられます。

パズラーではありませんから、謎という意味では弱いです(タイトルに関わらず)。
それよりも日常の生活の中でふと感じる些細な齟齬、思い違い、記憶の衰え…それらがすこしずつ積み重なり、やがて膨れ上がる疑念を抑えようもなくなる、そんなスリリングな叙述がたまりません。
昔の女流作家がよくこんな手法を使っていたなと思います。じわじわと真綿で絞められるような。

かつて大家として名を馳せていた作家が、海外で交通事故に会い失明。
その後4年の沈黙を経て、彼は自伝的作品を書こうと思い立つまでに回復します。
そこで必要となる目と手--口述筆記を担当し、彼のために資料を揃える助手を雇うため、新聞に求人広告を出したところ、1人の青年が応じてきて…という魅力的な出だし。

いつかラジオドラマ「火星人侵略」について書いたことがありますが、情報源を絞り込まれた人間というものは頼りないものだと思います。
本作に神の視点による叙述は登場せず、与えられるものは主人公である失明作家と助手との会話、作家と家政婦との会話、作家とエージェントとの会話…そういった作家自身が耳にできた「言葉」と、作家本人の主観にあふれた「モノローグ」、それだけです。
読者はこの限られた情報だけを頼りに物語の世界にアクセスするわけですが、この構図は助手の説明だけを頼りに村を散歩し、また著作に取り組むしかないこの失明作家と始めから重なっています。読者は作家に感情移入せざるを得ない。そしてその不安と恐怖を、共有するしか。

一方ではこの作家もまた、実に怖い存在です。
単に失明しているだけではなく、事故の影響で顔面は著しく損傷しています。皮膚はひきつれ、眉も失い、失った眼球がわりに義眼を入れもしない、整形手術を何度も重ねてようやく人の形を保っている状況。彼が散歩すれば村の人々は皆黙り込み、振り返ります。それほどの異相なのです。
見た目だけでなく性格は偏屈にして奇橋。尊大にして卑屈。
若く気立てのいい人物が報酬なり新しい生活なり、何かに期待して求人に応じたところ、訪れた館に住むのはガーゴイルさながらの醜く尊大な老人だった…と視点を変えて書けば、まるでゴシック小説。
そんなふうに、助手として採用されたこの青年の緊張も、同時に感じてしまうのです。

両者との関係において、高まる一方の緊迫感。
それによる吊り橋効果なのか、それともわたしの“従者萌え”が影響しているのか、実に萌え苦しい前半。
そして謎は解け、意外な告白が--。

動機が個人的に気に入らないので、後半の告白のくだりでかなり冷めてしまいましたが、意外であることは間違いありません。巧いやりかたであることも。
そしてラストの一捻りがまた、心憎く。
概ね幸せな小一時間でした。

なおストーリーとはあまり関係ないのですが、中盤、作家の自伝原稿にマクルーハンが飛び出してくるあたりで行われている、ダイアナ妃の死に関する考察はとても興味深かったです。
ダイアナ妃の事件ではわたし自身はあまり感じなかったのですが、確かに大きな事件、大きな不幸に直面したとき、人は一種の興奮状態に陥る。そしてそれは被害に遭った人々への心からの同情や自分自身の悲しみと、決して矛盾しないのです。
MJ(彼も親交があり、敬愛するダイアナ妃の死には大きなショックを受けていたと伝えられます)の一件については、まさに自分はそうなんだなあと思いました。

偶然でしょうが、命じられてオックスフォードのガーゴイルについて調査に出ていた助手が、戻ってガイドブック片手に作家に報告するシーンに、MJの名前が出てきます。

「これ(=ガーゴイル)は変わってますよ。マグダレーンのものです」
「発音はマグダレンだよ」
「はい、マグダレン。『この怪物は演奏を乞うている』とだけあります」
「なんだかマイケル・ジャクソンみたいだな」
「マイケル・ジャクソンをご存じでしたか?」
「もちろんだよ。知らない人なんているのかね?」

「マグダレン」じゃなく「モードリン」と読むのだという人もいますが、Magdalen Collegeのことのようです。
「演奏を乞うている」と解説されたガーゴイルが実際にあるかどうかは、ちょっとぐぐってもわかりませんでした。
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