LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

また特撮と関係ない更新です。やはりブログって習慣なのか、書かなくなればなったで、全然書かないで平気なものですね。

・「W」は観ています。2週ほど感想文書いてません。「A to Z」のほうはまだ。
・「カノン」はこの2週間、観てません。録画はしてますのでそのうち。
・7/17(土)の鶏あえずイベントのゲストはやはり、伊藤慎さんだったそうです。参加された方うらやましい。
・7/18(日)のJAEストリーミング生放送はリアルタイムで観ました。
 「白鎧亜」にかける金田社長の思い。未見の方もアーカイブで観られますのでぜひ。
・こしげさんの梯子職人面白い。
・前田さんのブログに伊藤さんとか、進一さんのブログに高岩さんとか、写真はないけど魅力的なエピソードが紹介されていてありがたい。

今ちょっと振り返っただけでも以前なら絶対ネタにしたようなことがザクザクあるのですが。
この間ついったにも書きましたが、2~3年前なら迷わず参加したであろうイベントがこのところ頻発してまして、どれもこれもことごとくスルーせざるを得ない状況なのがなんというのか切ないです。

そして読書メモだけ更新済みません。

家蝿とカナリア (創元推理文庫)
ヘレン・マクロイ著

告白(双葉文庫)
湊かなえ著
家蝿とカナリア (創元推理文庫)家蝿とカナリア (創元推理文庫)
(2002/09)
ヘレン・マクロイ

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読み始めて気づいたこと。わたしこれ、既読でした。同じマクロイの「幽霊の2/3」を読んで興奮したものでしたが、その際詳しい方から代表作だと紹介されたのに、思い出せなかった。記憶力いいほうだと思っていたのにどうもそのあたりあやしくなってきた模様です。

かのサラ・ベルナールがタイトルロールを演じたことで知られるサルドゥーの戯曲「フェドーラ」。
初演は1982年。つまり第二次世界戦争中のアメリカ演劇界において、それはもう古典と言われる類のものだったのに、古色蒼然たる名作に新味を与える演出と、当代一の舞台女優の出演とを宣伝文句に上演が決定した--。
このニュースを、NYに戻る機中で知らされた探偵役は、同時に、新聞で奇妙な記事を目にすることになります。
奇しくもこの「フェドーラ」上演が決まった劇場に隣接する金物屋に、奇妙な賊が押し入った、盗み出されたもの、破壊されたものはなく、ただそこで飼われていたカナリヤが、篭から解放されていたと。

美術館で開催される「フェドーラ」上演記念レセプション。
主演女優の複雑なPR戦略。
ゲネプロと傍線の引かれた台本。
そして舞台初日、客席の探偵役が見守る中、展開された俳優たちの名演と凝った舞台装置や衣装。
きらびやかな演劇界の描写に、冒頭からぐいぐいと引き込まれていきます。

そこで起きる殺人の趣向そのものも発表当時はかなりインパクトのあったものなのでしょうが、そういうけれん味は後代の読者の目からすると、どうしても古びてしまうもの。
それよりも人物造形や複雑な人間模様の描写が面白く、どんどん先へ先へと進んでしまいます。マクロイが黄金時代さながらの「本格」の骨格に、さらに「現代人の心理描写」を盛り込もうとしていたからでしょうか。
繊細な筆はドラマチックな物語の背景描写にも効いていて、とくに大詰めで探偵役が犯人を追い詰めるシーンなどはありありと絵が浮かびました。

おや、という手がかりに気づき、探偵役に示唆を与えるのが嫌われ者で野心家の俳優兼脚本家であるところは皮肉で面白いですね。彼の性格は今なら何か病名がつきそうな気もします。
夫への愛情はあったのに、女性らしい装いをしたり、子どもをもうけたりすることに関心が持てなかったことを悔やむ未亡人、というのも何だかリアルにいそうです。この人が犯人を焙り出すためとして打つ手がまた、ある意味残酷で興味深い。

印象的なタイトルの「カナリヤ」、そして「家蝿」は、冒頭で触れられている通り一方は犯人を心理面から特定し、一方は犯人を化学面から告発するキーアイテム(生き物ですが)。今回はダブルミーニングではありませんでしたが、相変わらず凝ったタイトルです。

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)
(2010/04/08)
湊 かなえ

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ああ、これは期待しすぎちゃったなあ、というのが第一の感想。
面白くなかったという意味ではありません。

最近映画が封切られたばかりの話題作ですが、この作品は単行本発売前のプロモーションからして特別でした。書店で無料配布されたパンフレットには、作者インタビューとともに女教師の独り語りが冒頭から
「先日死亡した自分の娘はこのクラスの生徒に殺された」と締めくくるところまで抜き刷りで収められ、わたしの不確かな記憶によれば
「続きは一ヶ月後に発売される『告白』で」と締めくくられていたのです。ものすごい生殺し。

もともと、手記や手紙などから構成される、一人称形式のミステリは好きなのです。
何が嘘で何が真実か、この人物の主観による描写と別の人物による描写の差異はどこから来ているのか、どこにどんな「省略」があるか。
これほど作家の企てを裏読みさせられる形式ってないですよね。

しかも「告白」のその抜き刷り部分は日記等ではなく(後の章にはそういうものも出てきますが)、先生が教室で独りしゃべりまくっているという描写で、これがその情景を頭に思い描くまでもなく、とにかく異様。
先生は生徒の反応が目に入らないわけではなく、必要なときには質問に対し返答などもしているのですが、にもかかわらず
「帰りたいなら帰っていいです」と言いながら非日常的なことをノンストップでしゃべりまくるわけで、この行動のあまりの異様さに、主人公と思われたその教師そのものに、非常に関心を引かれました。
というより、こんな異様な人物が、最初の1行目から出てくる「牛乳」で、何かをしないわけがない。いったい何をしたんだと。

ものすごくものすごく惹かれてしまい、にもかかわらずその場に本がなかったために、却っていざ発売という時には手が出なかった作品です。とてもじゃないけど一ヶ月待てませんでした。煽られすぎました。

ということで、つかみのインパクトがすごすぎて、そこから後の展開は何のひっかかりもなくするっと読めてしまいます。決してつまらないわけではないのですが、比較の問題で
「思ったより普通だな」という印象が残ってしまいました。
途中紹介される“やんちゃ先生”のご説がまた、道を踏み外さなかった、普通の生徒だった者としては食傷気味だったせいもあるかも。

しかし締めくくりがまた見事で、
「ああ、それが聞きたいのに!」というところが
「……聞きたいですか? ごめんなさいね、あたりが騒がしくなってきました」うんぬんとはぐらかされ、ぶったぎられ、物語が完結しないまま放り出されるという。
いま普通と書いたばかりで矛盾しているようですが、やっぱり異様ですこの主人公が。こんな人物の出てくる小説、初めて読んだ気がします。

文庫版は中島哲也監督インタビュー付き。
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