LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

毎回のフォーゼの感想文はついったに書き散らして終わりにしていたのですが、この最終回はほんとうに素敵でした。
堂々のお礼参り、そして堂々の大団円。
解けない謎は、将来への希望として残されました。
仮面ライダーのスーツデザインには、伝統的に「涙ライン」があるものとされていました。
悪意によって敵の力を授けられ、家族を奪われ、友人を失い、共同体を追われ…それでもそのまま悪に与することをよしとせず、戻るところもないまま人知れず戦うのが仮面ライダーであり、その苦しみを表現するものが涙であると。

で、フォーゼのデザインには、それがなかったわけです。

しかし、人間からは異形の怪人とされ、敵からは裏切り者とされるその戦いは非常に悲しいものである、というのが昭和から受け継がれてきたライダーのアイデンティティだったとわたしは思っていて(あの脳天気極まりない「電王」でさえ、人の心の醜さや運命の皮肉が目立たぬように描かれていました)、楽しく明るいフォーゼの登場人物たちにもいつか苦悩が訪れると期待して見ていました。
大間違いでした。

フォーゼが戦うのは最初から最後まで、友のため。友がその父の遺志を果たすため苦闘しているのを見て、力を貸した、それがきっかけでした。
一つ一つの戦いも憎しみや怒りによるものではなく、学友たちをその青年期独特の苦しみ--「強くなりたい」「人気者でありたい」「夢を叶えたい」といった支配概念との葛藤--から救うため。

そこでフォーゼが用いるものも、敵から与えられる穢れた嫌悪すべき力などではなく、転校先で出会った少年、歌星賢吾が、その父から受け継いだ<奪われた>技術がもたらすもの。
戦いは彼、如月弦太朗の運命ではなく、友のため自ら選びとった道であり、確かに悪と正義が同根の力で戦うのですが、これはもともと正義側の技術、そしてそれを悪の側が強奪した形。
過去のライダーストーリーとは枠組みがまるで逆でした。

震災という理不尽を、現実に体験した子どもたちを励ますため、あくまでも楽しく、爽やかに仕上げられた新しいライダー。敵すらも
「憎しみはお前たちに似合わない」という歌星賢吾の言葉により、救済の対象となり、そして最後に、如月弦太朗は敵とも見事、友情のハイタッチを交わしました。

爽やかな、ほんとうに爽やかなストーリー。
しかし、プレゼンターの謎は未だ解けず、これは冬の劇場版(後日談的な)に譲られるのかもしれません。

ぜんぜん関係ないのですが、ライダーストーリーにはもうひとつ、ジュブナイルものには欠かせない「父からの卒業」という要素が含まれている気がしてなりません。
父というのは生物学的な父親ではなく、それが正義にしろ、悪にしろ、圧倒的な力を以て若い人達を支配する社会的概念。弱肉強食であったり、使命感であったり、その内容によって子どもの側は畏敬の念を抱いたり嫌悪したり。
フォーゼにおける歌星賢吾の父、またその友であった<タチバナさん>や天ノ川学園理事長は、時にライダー部の面々を慈愛をもって保護し、一方では進化への戦いを強制します。この物語の中での父性の象徴のような気がするのですが、主人公たちは最後に、ただ自分たちの自我を主張するだけでなく彼らの願いすら理解し、過ちは正すがその理想は自分たちの代が引き受けると誓います。
希望に満ちたエンディング。

現実はそううまくいかないよと、親との葛藤に失敗したできそこないの大人としてはそう思ってしまうのですが、しかしそうありたい、そうあってほしいという祈りは確かにわたしのなかにもあり、それを何の衒いもなく堂々と描ききったフォーゼの最終回にはただ、関係者の方々への感謝あるのみなのです。
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