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特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

先日観た「キングスマン」のコリン・ファースがあまりにも素敵だったので、同じくかれが英国を舞台にスパイを演じた、この映画にも手を出しました。


Budapest / rundenreisen.org


いやまいりました。情報量がたっぷりで、公開時は

一度目、あなたを欺く。二度目、真実が見える。

という惹句が付されていたとか、リピート鑑賞の割引サービスがあったとか。自身引退したMI6の元諜報員としてリアルなスパイものを発表する、ジョン・ル・カレの長編が原作なのですから、そう言われればさもあらんと思うわけですが、そのあたりの予習は全くせずに気軽に観てしまいました。

ということで、初見の印象は、とにかく静かだった、ということです。静謐で、温度が低くて、そして音楽の趣味がいい映画。
雨や埃や、水苔や、死んだ動物の肉や血の匂いがしてくるような、リアルな映画。
登場する人物がことごとく、一見地味な、公務員然としたスーツの色彩のなかでそれぞれにチャーミングだったり渋かったり小粋だったりして、そのさまをただぼんやり眺めているだけでも満足できるような気がします。
とはいえ原作が原作ですから、真剣に、集中して観ればそれなりに、人物の何気ない表情や言葉、壁の絵や手にしたライター、飛び交う蠅、ポケットにしまわれた写真……といった細部からどんどん情報が立ち上がってきます。
圧縮率の高い、濃い映画。
たぶん一度目ではたくさんの伏線を見逃していたでしょうが、それでも話の筋自体は単純なので理解できないということはありません。それでも、何度か見なおしたい、リピートしたいと思ってしまう映画。
折りたたみ以降はだらだら感想文(解説でも批評でもありません)。
1973年。世界の西側と東側の間で起こっていた冷たい戦争において、主役を演じていたのは各国のエージェント、スパイたちでした。“サーカス”ことSISの幹部、“コントロール”はソ連との二重スパイの存在を疑い、ハンガリーで新たな情報源(西側への亡命を希望する将軍)に接触する計画を立てます。
しかしこの申し出は東側の罠であったことが早々に判明。失敗の責を負いコントロールは右腕であるスマイリーとともに辞職し、ほどなく世を去ります。

もぐら(二重スパイの意)などコントロールの妄想に過ぎない――公式にそう結論づけられようとしていたちょうどその頃、相前後してイスタンブールに派遣されていた実働部隊のリッキー・ターは、接触をもった美しいソ連人女性、イリーナより、サーカスからの情報漏洩を知らされます。驚き、本部へ一報を入れたことで逆に何者かに追い詰められることになったターは、サーカス上層部にもぐらがいることを確信。秘密ルートで帰国した、その足で外務次官、オリバー・レイコンに保護を求めます。

もぐらは果たしてほんとうに存在するのか。
それはいったい誰なのか。

かくしてレイコンに呼びだされたスマイリーは、
「今は外部にいる(=潔白が証明されている)きみだからこそ」もぐら探しにふさわしいと口説かれることに。

魅力的な原題は、子供が職業占いをするとき唄う歌、「ティンカー(鋳掛屋)、テイラー(仕立屋)、ソルジャー(兵士)、セイラー(水兵)、リッチマン(金持ち)、プアマン(貧乏人)、ベガマン(乞食)……」の歌詞からとられており、そこに「スパイ(諜報部員)」という語を潜りこませることで、希望にあふれる子供時代のあと、結局この日陰の道を選ばざるを得なかった名も無きサーカスの人々の人生を象徴しているように感じます。
同時に、かつてコントロールは配下の幹部たちを、それぞれひそかに

・ティンカー/パーシー・アレリン(コントロール失脚後、新“コントロール”となる)
・テイラー/ビル・ヘイドン(闊達な性格と確かな手腕で男女ともに魅了)
・ソルジャー/ロイ・ブランド(寡黙で強面)
・プアマン/トビー・エスタヘイス(東欧出身で、かつてコントロールに拾われた恩義がある)
・ベガマン/ジョージ・スマイリー(切れ者だが外見は地味)

と呼んでおり、ここから「ティンカー、テイラー」とはスマイリーにとっては「容疑者たち」という言葉と同義にもなっています。
なぜセイラーとリッチマンが飛ばされたのかはわたしにはわかりませんが、ヒントを探るためコントロールの自宅に向かったスマイリーが、自分もまた上司にとっては疑いの対象であったことを知るシーンの、複雑な表情がたまりません。
でも自分の写真が黒のクイーンに貼ってあったら、それなりに力量を評価してくれてるという気もしますよね……わたしにとってクイーンはキングを守る最強のコマというイメージです。
女児用には別の歌詞があるようです。

折も折、サーカスでは“ウィッチクラフト”と呼ばれる計画が進行していました。
ソ連側にクズ情報をわざとつかませ、見返りに有用な情報をゲットするというものなのですが、この計画のため4人の幹部の誰が東側に接触していてもおかしくない状況になっていて、もちろんこれも周到なもぐらが段取りしたもの。相手を騙してうまくやっているつもりでまんまと裏をかかれている皮肉な構図ですし、スマイリーにとっては実にやりにくい。

元職員への聞きこみや当時の記録の確保といった地道な捜査と、唐突に、何度となく入り込む良き時代の回想。
自分もコントロールからすれば疑惑の対象であったという苦い思い。
奔放な妻への思慕。
健康維持のためか趣味なのかよくわからない、池で泳ぐというスマイリーの日課。

スパイ活動といえばひりひりするような神経戦、というイメージですが、案外こんなふうに、シリアスな作業と場違いな思考、間の抜けた日常が交錯してしまうものなのかもしれません。
そして、場違いな考え事のようでいて、脳が無意識にピックアップしてくる記憶の破片から、真相が少しずつ形を見せ始め――。

ということでもともとのわたしのお目当てだったコリン・ファース(ビル・ヘイドン役)の出番は主人公に比べるとどうしても少なくなるのですが、男女ともに魅了する色男、人望ある幹部、でもすこしやんちゃ(屋内に自転車を乗り入れてきたり、女性職員に臆面もなく声をかけたり、人に好かれているぶんやりたい放題な面がある)、という役柄には見事にはまって眼福でした。
あまりギラギラしていない、しれっとした俗物っぽさ、控えめながらにじみ出るような魅力、これはこれで上品で優雅でキレキレな「キングスマン」とは異なり、なんとも言えない程の良さを感じました。70年代の、トラウザーの幅が広い、ゆったりしたスーツもよかった。
あと、コントロールのつけたコードネームがテイラーだなんて、と、ここからも「キングスマン」をつい連想して萌えました。

「SHERLOCK」のベネディクト・カンバーバッチも出演していたことは、観て知りました。予習しなさすぎもいいところなのですが、最初眼や肌の色と金髪が合わない気がしてこの人が登場するたび落ち着かない気分になりました。ただし登場時のはっと目を引かれる出で立ちはもうなんというかずるいとしかいいようのない美しさです。
サーカスの若手で、実働部隊のリッキー・ターに対しては直属の上司でもあるピーター・グィラム役。
ピーターはスマイリーの捜査チームに加わり、十分な説明を受けないまま危ない仕事を押しつけられたり身辺整理を命じられたりのふんだりけったり。
しかし忠誠心については映画の中ではこの人が一番、前面に出している感じです。ヘイドンと一緒に女子職員をからかったりする一方、ステディな恋人は男性で、ヘイドン同様どっちでも来いな人なのか、それとも同性愛者であるのをカムフラージュしているのか。

「おれは汚いことをやらされる首狩りだ」と自嘲するリッキー・ターを演ずるのは、「インセプション」のトム・ハーディ。
任務で接触したソ連人女性、イリーナとの運命的な恋に落ちてしまいます。整った顔立ちと対照的にその挙動はかなりラフ、というか短絡的で横柄にさえ見えることがありますが、そこに
「西からも東からも命を狙われるなか、拉致されたイリーナを救出するにはスマイリーに圧力をかけるしかない」と思い込んだ必死さ、精一杯の虚勢のようなものを、感じないこともないのです。
イリーナの死をそれとなく感づいているような表情で、ただ雨に打たれているシーンが哀しい。

以上が本作の色男チーム。
かれらに対し主人公のスマイリーや他の幹部は年齢のせいもあるでしょうが色ごとより陰謀。

主人公のスマイリー(ゲイリー・オールドマン)はしょぼくれて地味な老スパイで、原作では太っているという描写まであるそうです。
穏やかで飄々とした雰囲気ながら東側には優れた知性の持ち主と評価され、本作中でもグィラムやターらの若手には真実を伏せたまま、あくまで駒として使役しきる冷徹さを見せます。
その知性を時に揺るがせるかれの弱点は妻の存在。
奔放で、いつも家を空けているのはその時々の恋人と行動をともにしているため。たまに帰ってきたと思えば(妻が帰っている! といそいそ部屋に急ぐスマイリーが可哀想)愛人をひっぱりこんでいるありさま。スマイリーはその事実を十分認識し、受け入れた上で、ただ一途に妻を崇拝しています。
あろうことか敵幹部に亡命を決意させようと、
「きみにも妻がいるだろう」と説得したりするほど。それって逆に言えば、
「自分は妻をだしにされたら転ぶ」と告白しているのも同じことです。
事実、もぐらとの交渉相手、東側のエージェントのボス、カーラは的確にこの点をついてきていましたし、今後もそうであるはず。
非常に危なっかしい。
本作はかれにとっては見事なハッピーエンドで、ラストはご満悦なスマイリーのアップで終わるのですが、それにしても、この先そんなんでやっていけるのか、とつい心配してしまうような危うさ。

原作は70年代に発表され、BBCによるドラマも人気を博し、今度は映画化ということで、ジョン・ル・カレは監督に
「小説は小説、映画は映画」、すなわち原作にとらわれることなく自由にやればよいというアドバイスをしたようです。
したがって本作のテーマは
「二重スパイは誰か」ではなく(その辺りはすごくあっさりした描写です――原作やドラマではどうだったのでしょうか)、人は裏切られたり傷ついたりしながら、それでも生きていかなければいけないのよセラヴィ的な、人生は寄せては返す波のようにいい時も悪い時もあるよ的な、もしくは端的に
「スパイはつらいよ」というものなのではないかなあと思って観ていました。

そう思ったのは、事件の背景に見え隠れしていた一つの悲恋があったからです。
映画の終わりとほぼ同時に終わりを迎えるこの恋は、一方からすれば戯れだったかもしれず、しかしもう一方からすると、命をかけた想い。
裏切った者は、裏切られた者から向けられた銃口に気づいていたのかどうか。
気づいていたとして、そうされても当然だ、撃ちたいなら撃っても構わないよと静かに微笑んだのか、それとも、まさかお前がそんなに怒るなんて、と狼狽したのか。
そのいずれともみえる表情を浮かべ、左の頬に小さな銃創を開けて倒れていくかつての恋人。
それを見届けた狙撃者の胸に迫る感情はなんだったのか。
人によっては事件の進展よりもこの恋の行方のほうに感銘を受けたかもしれません。

あるいはまた、作戦に失敗し傷ついた身体で帰国した失意のスパイに、そっと寄り添う少年の存在も印象的で、ここにスポットを当てればまた違った映画になったかもしれません。

いくつもの別れ、いくつもの愛憎。
そうしたものを飲み込んでゆるゆると流れていく、何か大きなものの存在をも感じさせる、“ラ・メール”のシーンが圧巻でした。

=参照=

よくわかる 『裏切りのサーカス』 全解説 【再改訂版】


10/15追記。2回目視聴したら普通にコントロールが
「セイラーはやめておこう、テイラーとまぎらわしい。リッチマンはあいつの柄じゃないから……」と説明しながらその2つを飛ばしていました。ここ聞き逃してたんだなあ。ということで訂正。
スマイリーが最後は笑顔で、と書いたのですが笑ってたのグィラムだけでしたね。ここも訂正。

冒頭、作戦の説明を受けるためコントロール邸に呼びだされたジム・プリドーのスーツ姿が端正で、おや、と思いました。ずっとカジュアルなイメージだったので。
コントロールが失脚時きみも、とスマイリーもろともに辞めたのは、一番スマイリーを疑っていたからなのかなあ、とも思いました。
サーカスを去っていく身で 最後に打てる手として、幹部陣の中でも一番優秀な――右腕にしていた――だからこそもぐらの可能性が高いスマイリーを道連れに、とか。

あと、リッキー・ターが、ソ連側の暗殺者の手際のよさを
「おれより上だ」と言っていて、なんにでも職業意識ってあるんだなあとか。
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2015.10.13 21:55 | dvd box 観たらめも | トラックバック(-) | コメント(-) |
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