LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

dtvで「コリン・ファース」と検索して出てきた映画をかたっぱしから観ているウィーク。いや、今月の課題まだ手をつけていないのでこの後も続くかどうかはわかりませんが。


Sunset 3 / Tom Bech


ストーリーはとてもシンプルです。
年下の恋人を失った中年の大学教授が朝目覚めて色々あって翌朝もう一度目覚めるまでの、ほぼ一日を描いたもので、主役の大学教授がコリン・ファースですがチャーミングです。
時代はだいたい1962年のキューバ危機前後くらい?
大戦で堂々たる勝利をおさめ、大きいこと、豊かであることこそ正義と世界に誇ってきた若い国が、国外に対してはソ連との対立や核の恐怖、国内では光化学スモッグなどの公害やブラックパワーの台頭と、これまで見過ごしにしてきた問題をつきつけられ始めた頃のこと。
国家として中年の危機、まではいかなくとも、その兆しが見えてきたあたりでしょうか。
「朝は苦手だ。若い頃からだめだった」

冒頭、そしてこの後も、何度か挟まれる、溺れるイメージ。
雪の中、事故車の傍らに倒れている運転者の死体。白い膜がかかったような目を見開き、額から血を流しているその亡骸へ歩み寄り、跪き、くちづける――寝苦しい夢から目覚め、はっと息をつくジョージ(コリン・ファース)。

後の回想で、ジョージは実際には恋人・ジムの死体を目にしていないことがわかります。
起こった事実は、戦後地元のパブで出会い、交際が始まった相手と16年もの間幸福に暮らしたこと。
ある冬、相手が帰省することになり(クリスマス休暇?)、飼っていた犬2頭を連れて車ででかけたこと。
そして夜、ジムの兄を名乗る人物から電話が入ったこと。
「交通事故です。弟は即死と思われます。家族はあなたに知らせるなと言ったがぼくの独断で――いいえ、葬式は身内だけで」

その死を目のあたりにしてないジョージには、簡単には納得が行かなかっただろうと思います。大きな喪失感を抱えたまま、昼は大学教授として、人に求められる役割を演じ続けてきた数ヶ月後の、朝。11月とはいえ場所は平均気温27度のLAですから、気分的には夏の朝。

ここで、恋人同士の間では「ガラスの家」と呼ばれていたらしい、ものすごく開放的なジョージの家がまず素敵。
建築家だったという設定の恋人・ジムが設計したものなのかもしれません。
陰鬱なモノローグとともに、求められる役を演じるくらいはできると服を身につけ、髪を整えるコリン・ファースの仕草が美しくどきどきします。
ここから朝食を取り、トイレに行き(用を足しながら本を読んだり窓から隣家の庭の様子をのぞき見たりする)、家政婦に指示を与え、隣人たちに手を振りながら出勤、という、普通の映画ならカットされるような細かな日常が丹念に描写されていきます。

若いころはガールフレンド、今は共にイギリスからアメリカへ渡った戦友的存在、チャーリーと夜会う約束をして、大学では秘書が
「学生があなたの住所を聞きに来たので教えた」と告げ、同僚は核シェルターの話をし、講義ではやる気のない学生たちにマイノリティに対する社会の恐怖、という話をし。

このままジョージの寂しい一人暮らしと、美しい恋人の思い出とがずっと丹念に綴られる映画なのかなあ、とぼんやり思っていた(映像がどこを切り取ってもファッション誌のグラビアのように美しいだけあって)ところで、不意に不吉な思いをさせられるのはジョージを慕っているらしい男子学生・ケニーの言葉。
「どこかへ旅行するのかと思って」
「なぜ」
「いや……オフィスを片づけているみたいだったから」
そう、ジョージは今夜、自殺することを決意していたのです。

銀行の貸し金庫に預けていた証書類を取り出し、小切手を現金化し、持っていた銃に合う銃弾を買い、自分の葬儀用の衣服を整え(“タイはウィンザーノットで”)、身近な人への書き置きや保険証書、金庫の鍵などをきっちりと机の上に並べ、母の形見の指輪は身につけ、家政婦へのチップは朝食のパンの袋に仕込み、それからベッドに横たわって銃口を口にくわえるジョージ。
ここで角度が苦しいとか背中が痛いとかいろいろ落ち着かなさを感じ、クッションをあてたり姿勢を変えたり、バスルームに場所を変えたりキャンプ用の寝袋を持ちだしてみたり(ここは笑うところ)。

その間も淡々と用事をこなし、チャーリーに会いに行ったりもして、
「もうこの辺でいいかなあ」的な自殺って、案外こんなものかもしれないなあと思って観ていました。
ゲイの大学教授。社会的にはまだまだ認められない時代です。
半同棲状態だったジムが、16年も交際していて正式に引っ越してきてはくれなかったのも、ジムの家族が葬儀への立ち会いを拒んだのも、それが理由。
ジョージの隣人一家は、妻や子供たちは愛想よく話しかけてきたりホームパーティーに呼んでくれたりしますが、夫はジョージの存在を無視していますし、娘に
「サソリに食わせてやりたい、あんなサオなし」と言うほど、ゲイを毛嫌いしています。
テレビのニュースも厭世的な気分に拍車をかける。
思い出すのはジムの言葉。夏の海辺で、冬の暖炉で。
「犬のように単純なのがいい。こうしてきみのそばに寝そべっていればそれで幸せだ――いつ死んでもいいよ」
自分ももう十分に生きた。いつ死んだっていい。

でも、そんなふうに心が枯れちゃってるわりに、このジョージはモテるのです。

大学では秘書が、若い学生が、ジョージへの関心を隠そうともせず、スーパーの入り口ではハリウッドデビュー目指してスペインから出てきたもののうまくいかない、とぼやく美青年・カルロスに声をかけられます。
隣の家の女の子もなついている感じですし、チャーリーに至ってはただ単に今現在、故郷を離れ子供も巣立ち、夫と別れている身の上だからという理由もあるでしょうが、よりにもよって死を決意している相手に
「優しいジョージ。ああ、あなたと結婚していたらよかったのに!」と本音をもらすありさま。色っぽい話にのってきてくれないばかりかジムとの関係を侮辱されたと勘違いするジョージの石頭にも八つ当たり。「あなたがゲイだからいけないのよ!」

コリン・ファースって、ファンのかたには怒られるかもしれませんが、この映画に出てくる若者たちのように、大きな目や長いまつげ、半開きの紅いくちびるがセクシーとか前を開けたシャツから覗く筋肉がとか、そういうタイプではない。
でもスタイルがよくて仕草がいちいち決まっていて、何を着てもほう、と見惚れる感じ。
ちょっと疲れたような笑顔がなんともいえずチャーミングですし、知的で皮肉な雰囲気もありますし、あとこの映画のジョージにはなにか、“匂いをかぐ”癖があるようなのですが、この描写がもう、なんとも言えない落ち着かない気分になったりとか。少し丸めた背中から身体のぬくもりが伝わってくるような、そんな色気のある人です。

例に漏れず、
「あなたって放っておけない」と夜もずっとジョージの自宅近くをうろついていたケニー。
かれと酒場で再会し、2人、酔っ払って夜の海に入るというばかをやった挙句、ともに自宅に引き上げてくるジョージ。
そして、何が決定打となったのかわかりませんが、一日中いろいろモテてていても自殺の意思は変わらなかったジョージが、この一夜(といっても何も起こらない)を境に憑き物が落ちたかのようになり、出しっぱなしだった銃は鍵つきの引き出しにしまい、書き置きは暖炉の火にくべてしまいます。

「ごく時たま、非常に明晰な瞬間が訪れる――」

ええっ、と思うラストなのですが、そんなものかもしれませんね。
明晰が訪れ、つまりもやもやした感情がすっきり整理された状態となり、死にとりつかれた状態は消え去った。
むしろ、いざ死のうという目で見れば、世界はいかに美しいものにあふれているかと思い知らされた一日でもあったと、思い返すジョージ。当初モノクロ映画かと見紛うばかりに暗い、ほとんど灰色に見えた画面が、徐々に鮮やかな色彩で彩られていく、印象的な映像。
隣家の少女の、水色に広がるスカート。
カルロスとスーパーの駐車場で眺めた、怖いような夕焼けの空。
秘書の香水はランバン。
愛らしい犬はバターの匂い。
初めてジムと出会った夜の思い出。
夜の海。
生まれ変わったような、清新な世界。

直後、心臓発作を起こして床に倒れ堕ちたジョージのもとに、今はなきジムが現れ、くちづけて去っていきます。

「――そして、しかるべく死が訪れた」

そういえば冒頭、庭に恋人の面影を幻視してああ胸が痛む、ってやってたなあとか、いや翌朝ケニー驚くだろうなあとか、家政婦や警官が
「準備がよくて助かった」と言いそうだなあとか、いろいろ余韻があって、そんなに悲劇性は感じない映画でした。チャーリーは号泣しそうですね。
映像的にはおしゃれで綺麗で、でもあちこちユーモラスで。
マイノリティに対する社会の恐怖。恐怖は色々なことに利用できる。話しても届かない恐怖。
ジョージの講義はもっと聞きたかった。

セクシャルなシーンはほとんどなく仄めかす程度なので、そういうのが苦手な方にもおすすめできる気がします。
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2015.10.22 13:34 | dvd box 観たらめも | トラックバック(-) | コメント(-) |
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