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またしてもコリン・ファース出演作品。
正直、ノンフィクションの映画化、というのを宣伝文句にしなかったほうがよかったのでは、と当初、思っていました。実話なのでちょっとぐぐれば、まだこの事件の真相は解明されていない、ということもわかってしまうのです。で、わたしはミステリ好きですけれども、ミステリの何が好きかって、
「謎はすべて解けた!」という瞬間のカタルシスなのであって、この映画ではそれが得られない、と最初から提示されてしまっているのです。警察の雑な見込み捜査のせいで圧倒的にデータが足りない。当然真犯人はわかっていないので答え合わせができない。そんなので映画として面白いのだろうかと思いつつ、見始めました。
が、結論から言うと、大変興味深い映画でした。


survivor party 8 / woodleywonderworks


わたしのようなミステリ好きでなくとも、とくに殺人事件であれば、それがいたましいものであればあるほど、もしくは恐ろしいものであればあるほど、犯人は誰で、どういう動機で、どういう手段でやったのかという答を、多くの人が求めるのではないかと思います。そうでなければ落ち着かない。それは被害者の鎮魂のためかもしれませんし、事件に対する恐怖からかもしれませんし、ただの下世話な野次馬根性かもしれませんが。
警察はもちろん、被害者の親たちも、マスコミも外野も、みなが答を、もしくは早期に誰が犯人かを警察が“決める”ことを求めていて、その結果起こった冤罪事件というのが、本作のテーマです。
「謎はすべて解けた!」というカタルシスがないだけでなく、胸のすくような法廷劇もないし、コリン・ファース演ずる調査会社の社長もいうなれば正義と信念の人ですけれども、別にヒロイックな見せ場があるわけでもありません。淡々と、警察のずさんさを、また法廷のおかしさを、そしてそのように司法を歪めた地域社会の“空気”を、ただ描いています。
発端

映画の冒頭、8歳の少年、スティーヴィーとその友人2人がウェスト・メンフィスの森に遊びに行ったまま戻らない、という行方不明事件が描かれます。

この3人がまず、どの子もとても愛らしい。
はしゃぎながら自転車で森のなかへ入り、橋を渡ってロビンフッドの丘へ向かうシーンは、5月の光のせいもあり、キラキラして見えます。美しいシーンです。絶対に監督はここ、力を入れて撮ったと思います。後に無惨な死体となって発見されることになる彼らは、無惨な死体写真になっても、とても綺麗でした。
「4時半までに帰るように」と送り出した母親は、自分が夜勤に出かける時間になっても戻ってこない子供たちに戸惑いつつ、夫にあとを託し出勤します。しかし仕事が終わる頃になってもスティーヴィーたちは戻らず、ついに町をあげての捜索となり――。

混乱

子供たちに加えられた虐待の痕に町は恐怖のあまり狂騒状態となり、やがて、事件はカルト的な悪魔崇拝者のしわざだと囁かれ始めます。そして逮捕された3人のティーンエイジャー。
主犯とされたダミアンはもともと素行不良なところがあり、ヘヴィメタルを聴いたり、髑髏モチーフのものを集めたり、黒い服を好んで着たり、悪魔に関する本を読んだり、恋人の名前を腕にナイフで刻んだりと偽悪的な言動で人を脅かしていました。現在なら、そして日本でなら、ただの「中二病」で片づけられるようなものなのですけれども、もちろん中には酒鬼薔薇事件の犯人のようなのもいますので、疑わしくないとは言えません。

怪しげな素行、つきまとう噂、好ましからざる経歴。但し、どれも状況証拠です。
そこへ、警察の意を迎えたような証言をする母子が登場します。
「ダミアンに悪魔崇拝の儀式に招かれた」と証言する母親(後に警察に強要されたとマスコミに弁解)と、
「自分はスティーヴィーや他の被害者たちとは親友だった。事件が起きた時自分も現場にいた。ダミアンたちがスティーヴィーたちを殺し、その血をバケツで受け、自分にもコップで飲ませた」と証言する8歳の少年(同じく、後に事件のことは何も知らないと語る)。
加えて、逮捕された3人のうちの1人、ジェシーも、
「自分たち3人が殺した」という自供を行います。尤もこれは、年齢より知的な発達が遅れていたかれが、人に怒られないように、人が自分に期待するように行動しようと常日頃心がけており、取り調べにおいても警察の望む話に誘導された結果ではないか、というように映画では描かれています。

歪んだ裁判

証拠らしいものはこの3つの証言だけ。裏づけとなる物証はいっさいなく、というかそもそもの初動が遅くて、先ほど子供が帰ってこないことで
「町をあげての捜索」と書きましたが、なんと警察だけはそれにも当初参加しておらず。
よくもこんな状況で裁判する気になったものだと思われますが、驚くべきことに裁判所はこれらの証拠を受け入れています。

映画で見る限り弁護側はよく仕事をしていたと思うのですが、 

弁護側が法廷で明らかにしようとした事実の例;

 ・被害者の父親の1人は事件のドキュメンタリーを撮影しているスタッフに
  「未使用だから」と鹿用ナイフをプレゼントしたが、ナイフには人血が付着しており
  被害者の少年のものと血液型が一致した

 ・事件当夜、現場附近のレストランには錯乱した血まみれの黒人男性が女性用トイレに
  入り込み、また逃げ出すという椿事が起こったが、警察は店主が数度電話して
  ようやく現れ、また、血液サンプルを採取したものの分析に回す前に紛失した

かれらの提出する証拠はことごとく退けられ、証言の矛盾を突いても無視され、証人の信憑性に疑義を呈しても却下され、警察の捜査上の失策をいくつか指摘しても陪審員たちの心証を覆すには至らず。
推定無罪の原則はどこに行った? とびっくりするような結果です。
事件の詳細はWikipediaの「ウェスト・メンフィス3」にもありますが、今からわずか20年前、1993年にアメリカのアーカンソー州で起こったできごとであり、大昔の話ではありません。

なお映画タイトル(そしてその原作ドキュメンタリーのタイトル)になった「デビルズ・ノット」とは、裸にされ、両足を靴紐で縛りつけられ、ひどく虐待された上で水路の水底に沈められていた少年たちの、その靴紐の結び目のことだと思います。
結び目がなぜ重要かといえば、第一に、事件を支えた3つの証言のうち2つまでが、
「被害者の足をダミアンたちがロープで縛った」としているからです。実際には靴紐であり、この証言をそのまま採用したこの事件に対する当局のずさんさ、強引さを象徴するものともいえます。
第二に――映画の最後の最後、字幕で映画が作成された時点での真相解明の進展が語られますが、そのなかに、登場人物のなかのある人物のDNAが、少年たちを縛っていた靴紐の結び目から発見されたものと一致した、というくだりがあります。

真相は藪の中

「これでは魔女裁判だ」と嘆く弁護士の言葉通り、この事件は冤罪であるとして社会的には強く批判されており、そのためかダミアンたちは現在は釈放されているのですが、しかしそれは、無罪を勝ち取ったからではなく、2011年に
「無罪を主張しつつ有罪を認める」という司法取引に応じたものです。彼らの名誉は回復されておらず、真相も解明されないまま、一応はピリオドが打たれた形ですが、ただし弁護チームを調査面から支えた調査会社社長、ロン・ラックスは司法の正義の実現のため、そしてスティーヴィーの母親であるパムは真実を知るために、今もそれぞれの活動を続けているそうです。

冤罪が起こった要因を「モラル・パニック」に求める分析があるようなのですが、わたしもこの映画を見る限りでは、人々が犯人を求める気持ちが強すぎて、そういう狭い町の“空気”が司法を歪めたのではないか、という印象を受けました。
黒い服を着ていて、ヘヴィメタ聴いてたからという理由で死刑にされる。まるでジョークです。
また、パムは映画のなかでDV気味の夫から、テレビインタビューを受けたことについて
「はしゃぎすぎだ。喪中の母親らしくしろ」と怒鳴られています。人は見た目が9割ってほんとだなあと思います。

コリン・ファースがしぶい

で、事件とはもともと何の関係もないのに、
「警察はまともな捜査をしていない」という疑念から調査を始め、自ら公選弁護人にアプローチして協力を申し出るロン・ラックスが一応映画の中心になっているわけですが、これって行動面だけで見ると実に酔狂な話ですね。
ただ、コリン・ファースが演ずるとこういう正義の人もいるんだろうなあ、と妙な説得力があるのです。
日本でも人権派をうたう弁護士が冤罪のような注目度の高い事件に乗り出してくることがありますが、テレビのニュースで見る限りどうも弁護方針に無理がありすぎる、とか、何かとマスコミに露出しすぎる、という人も少なくありません。そういう人は公正な裁判を求めるという大義の影に何か他の動機を隠しているのではないかと勘ぐってしまいますが、ロンはダミアンに味方する気すらなく、あくまで、
「(そうでない場合はもちろんのこと)かれが犯人ならそれはそれで、公正な裁判のもとその罪を問うべきだ」という信念だけで、活動しているのです。
かれの動機は調査会社のアシスタントに向けた一言だけでしか語られず、描写としては薄いので、普通なら
「こんな人が存在するかな?」と疑問に思うところなのですが、そこをコリン・ファースの存在感でカバーしているという印象。

このロンが離婚係争中という個人的な事情もあってか、沈鬱でもの思わしげな佇まいがなんともいえずかっこいい。
その離婚係争中の妻でさえ、
「警察があなたのあらを探りに自分のところまで来た」とロンに伝え、「まだ有力な材料をつかんでいない証拠よ」と力づけにくるところから、その正義感はかれを知る人には当然のものだったんだろうなと感じます。
頬髭やラフなスーツの着こなしはいかにもアメリカ映画のヒーローっぽく、ただし静かで淡々とした、知的な口調がその印象を裏切り、裁判の進行が思わしいものでなくともなお淡々と、被害者の母親に向け、
「かれらは無実です」と言えるその信念の固さ。いやロン・ラックスが渋かった。

なお映画は最後に、ダミアンら3人の被告以外に疑わしい人物が存在することを仄めかすことで、
「真犯人は野放しにされ、今も普通の市民として生活している」という可能性をわたしたちに突きつけてきます。これも相当に怖いことで、この問題に真正面から取り組み続けることは、ロンにしろパムにしろ、非常に勇気ある行動だと思います。
かれらのためにも、幼くして殺された3人の少年のためにも、真相が明らかにされることを祈ります。
10/26追記。誤字を訂正するついでに小見出し入れてみました。
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2015.10.25 01:25 | dvd box 観たらめも | トラックバック(-) | コメント(-) |
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