LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

新たな冒険、新たな仲間との出会い――。前作、「ファインディング・ニモ」を観ていればクスリと笑ってしまう要素があちこちに配され、また往年からすれば格段にレベルアップしたCG技術とその産物である美しい画面に陶然となり、娯楽映画としてもヒット作の続編としても完璧な映画。

なのですが、ドリーの絶望と孤独がぐいぐい迫ってきて、途中から胸が潰れそうになりました。
映画館の暗闇の中で小さなお友達が
「ドリー、どうなっちゃうの……?」と声を上げるのが聞こえ、親御さんが
「しっ、静かに」と注意されていましたが、あれを観ていたみんなが同じことを思ったはず。
ハッピーエンドになるとわかっている大人でさえ、泣きそうになったくらいですから。


seashell / PetteriO


マーリンの言うとおり、忘れっぽいドリーは他人のお荷物になりやすく、また、一度何かに注意を惹かれるとそのことだけに集中して周りが見えなくなるあたりは相当危険で、控えめに言ってもはた迷惑な性格。
しかし一方、忘れっぽいからこそ心折れてもその悲嘆は持続せず、気軽に人に声をかけては親しくなる、その明るさ、たくましさ、おおらかさ。己の欠点を知っているため、他人の失敗にも
「大丈夫よ」と声をかけ受け入れる温かさ。
プラス、几帳面で良識的なマーリンには及びもつかないぶっとんだ発想力。
そんな持ち前の美点で、今回ももちろん苦難を打開するドリー。クライマックスでの「What a wonderful world」では思わず声を上げて笑ってしまいました。そこまで絶体絶命の緊張が続いていただけに。いやよかったです、あのシーン。

blue fish / kiszka king


「ファインディング・ニモ」では、はた迷惑に豪快にもの忘れしていながら、ニモをとらえたシドニーの歯科医の住所だけは記憶していたり、そもそも水道管や水中メガネに書かれた人間の文字が読めたり、クジラ語を解したり、様々な異能を発揮したドリー。
今回のお話は、なぜドリーにそんなことができたのか? の説明にもなっています。なるほどそういうことだったのか、と納得の展開でしたが、最初に度肝を抜かれたのはお話よりも何よりも、ミズダコ・ハンクの描写。
いや確かにタコはあんなふうに動くんです。なんてリアルなんだと衝撃を受けました。スタッフロールの影像もタコの独壇場で、今回の主人公はタコだったんじゃないのか? と思うほどの活躍。いやハンクは良いキャラです。
それから海中の水と光の描写、ガラスの水槽の中の水の描写。
サンゴや魚たちといった華やかな要素だけではなく、地味に昆布のゆらめきも。

そんなビジュアルの魅力にたちまち惹き込まれ、ほとんど家族のようなマーリン、ニモ父子とドリーの会話も楽しく、ああ懐かしいキャラクターが出てきたなと思えばヒッピー風のアシカ、奇妙な鳥、シロイルカとシュモクザメ、ラッコと新キャラも続々と。
テンポのいい展開、八代亜紀の衝撃。
よく練りこまれた脚本のため、作品世界にすっと抵抗なく入っていけるのですが、しかしドリーを主人公にした本作のテーマは、失われた記憶。
記憶がないとはその間の個人史、それを通じて培われた自分という人格、人生の一部を、喪失したということでもあり、自分には故郷もあり家族もいた、それを自分は長い年月忘れていたのだという悔恨は、
「父さんと母さんはあたしに会いたくないかもしれない」という不安へと結びついていきます。

マーリンやニモの励まし、ドリー自身の前向きな性格のため、すぐ見えなくなってしまいますが、実はお話の最初から、いえ「ニモ」の段階から、このドリーの根源的な孤独はずっと続いていて、それが最高潮となった時、仲間から離れたった独り、暗い海へ投げ出されてしまうドリー。

自分に自信が持てない、その恐ろしさ。
思えば「ニモ」の時から既に、
「ねえ、だれか助けてくれない?」とドリーは訴えていました。

明るく楽しいだけのお話ではありません。繰り返しになりますが、ハッピーエンドになるとわかりきっているのに、それでも辛くてたまらなかった。そんな感想です。
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2016.07.20 00:56 | dvd box 観たらめも | トラックバック(-) | コメント(-) |
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