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LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

ライブショーなのですが地方住みのために地元映画館で観ました!
実はずっと観るつもりでいたのですがわりとぎりぎりまで地元でやってくれるかどうかすらわからず、座席の予約も1週間前まで受けつけないシステムだったのですが、受付開始時期はちょうど、同居人2号が再入院&再手術のためごたごたしてしまっていて、
「結局席が取れなかったなあ……」と前夜、未練がましく予約サイトを覗いたところ。

<残席わずか>

の文字が! 真っ黒に埋まった座席表の真ん中にぽこっと1席空いているのを見て、気がついたら予約していました。
いや未練がましく見てよかったです。
素晴らしかった。ほんとうに素晴らしかった。
ラストはカーテンコールに次ぐカーテンコール。スクリーンのこちらでも、聞こえはしないと思いつつついつい拍手してしまいました。
以下長い長い感想文。読み返してみればオタクの早口のようで気持ちが悪いのですが、いやわたしは正真正銘オタクなのでそれもやむなし。
そんな、ほとんど思いつきのような観劇で、予習も何もしていなかったのですが幸い原作は読んだことがあり、それだけにあの長尺の、観念的ですらある内容を、よく2時間あまりにまとめたものだと思います。以下思いつくままに感想を書いていますが見ていただいてもわかる通り、非常に長い物語です。なのにちゃんとエンターテイメントになっていて、だれる間もなくラストまで一気に駆け抜けていく仕組み。
いやすごい脚本です。

演技は素晴らしかった。

まず冒頭、主人公・百鬼丸の両親である醍醐景光の領地繁栄の祈願から縫の方の出産シーンまで。
ここがギリシャ悲劇かシェイクスピアかと思うような荘重さを示してくれたおかげで、百鬼丸の驚くべき境遇が際立ちました。
醍醐景光は後々の殺陣もあるのですが、さすがは腑破十臓、剣の扱い、戦いぶりもお見事でした唐橋さん。
鬼神にすべてを奪われた異形のわが子を愛おしむ母性がにじみ出ていた、縫の方・大湖せしるさん。

飢饉に流行り病、災害、国力が衰えたと見ればいつでも攻め入ってくる虎狼の如き近隣諸国。
この地獄の世を救うため、力を貸してくれるならば何でも与えようと鬼神に誓った景光は、生きているのが不思議なほどの不具の子供が授かった時、約定成ったと悟るのですが――。

戦乱の世を生き抜くたくましい孤児、どろろ。
己を食らいつくさんとする鬼神に反撃するため、奪われた身体を取り戻すため、剣を身につけた少年、百鬼丸。
2人の重要人物が出会い、長い孤独のためか百鬼丸を兄と慕いなつき始めるどろろ。尤も百鬼丸の側は目も耳もないことから、自分以外の人間の識別は魂の色でしかできず、
「特に害はなさそうだ」とつきまとうどろろを放置しているだけ。そんな2人連れが化け物退治の旅を続ける道中で出会った、様々な人々。

生来の気の優しさゆえ、血を求める妖刀に取り憑かれた兄と、その兄が戦から戻ってくることを信じ家の没落後もずっと待ち続ける、健気な妹。

国境の村に生まれ育ち、生き別れとなった母に会いたいと願う少年。

鬼神に襲われ助けを求める母を足蹴に逃げ惑い、母を救うどころか目の前で無残に喰われる原因を作ってしまった自責の念が消えず、今や自ら鬼神に餌を与える側に回ってしまった男。

鬼神との戦いはもちろん、こうした生とは死とは、人間とはと問うエピソードにおいても戦乱の世にあるだけにアクションまたアクションの連続となるのですが、この殺陣が見どころ。
型をしっかり押さえた唐橋充さんの様式美もいいのですが、百鬼丸の鈴木拡樹さんがまたいいのです。
百鬼丸は設定上、刀を握れぬ不具の身体の持ち主。腕に直接刀をくくりつけ、その上に日頃は義手をかぶせているわけで、要は大きな動きができず、間合いが極めて近い。加えて演じる鈴木さんは決して大柄とは言えない体躯です。少なくとも長身の相手役に比べては。必然的に地味な殺陣になってしまうのですが、その地味な殺陣がすごい。速さも速く手数も多いのですがそれがすごいのではなく(いやそれだけでもすごいけど)、広い舞台を縦横無尽に動きながら頭がまったくぶれず、走るときも腕も振らず頭もあげずの忍者走り。背筋から振り抜いているであろう腕の動きは、いかにも
「あっ斬れた」と観ていて納得のいくものです。百鬼丸が出るたび
「待ってました!」と言いたくなって困りました。

戦いを重ね、ある時は耳を、ある時は声を、少しずつ奪われたものを取り返していく百鬼丸――。

一方、醍醐家の側は、久方ぶりに続く悪天候に心を痛めています。あの時鬼神との約定において犠牲のため水に流させた我が子が、もしや生きているのではとの疑いが生まれ、産婆を探させる景光。
16年間1日たりとも奪われた“ぼうや”を忘れたことがなく、景光の非情さを責め心を閉ざす縫の方。
そして、惣領息子として生まれた百鬼丸の弟・多宝丸も、健やかで何不自由無い生まれ育ちでありながら、父母に愛されていないとの欠落を抱えていました。
旅の果てに、この醍醐家の領地に流れ着いた百鬼丸にいかなる運命が待っているのか。

この百鬼丸の運命と交錯するのは、相棒となるどろろだけでなく、捨てられた百鬼丸を救い育て、義足を与え、剣の技を教えた挙げ句、
「自分は新たな鬼神を作り出してしまったのでは」との悔恨を抱く寿海。
語り部でありときに恐るべき剣技を発揮しながら百鬼丸につきしたがう法師の琵琶丸。
この2人がとくに印象的でしたけれども、他の方々もとりどりに素晴らしく、何というのか、非常にまとまりがありました。

ラスト、父・景光に会いに行った百鬼丸を待つどろろ。待ちわびた挙げ句、ぱっと表情が明るくなったことで、間接的に百鬼丸の帰還を描いていますがこの笑顔が値千金。
北原里英さん、ただ明るく威勢がよいばかりではなくて、百鬼丸に「きれい」の概念を教えたり、生き別れの母を
「どうせ生きていない」と諦めかける少年を励ましたりと、繊細な表情が魅力的でした。
この舞台ではどろろは女の子という解釈で演じられていたのではないでしょうか(どろろの性別は諸説ありますが、百鬼丸のみおへの思慕が描かれず、ただ琵琶丸による語りで済まされているので)。

演出も良かった。群舞による鬼神や洪水その他天災の表現。祈り、戦といった観念の表現。
声を取り戻すまでは一切セリフがなく、なのに凄まじい存在感を持つ百鬼丸。
多宝丸が目を捧げるまで、その目も視点が合わず、美しい顔に異様な表情を浮かべる百鬼丸。
アニメは知りませんが、原作では結構百鬼丸は多弁で、なので身体の一切を鬼神に奪われたと言っても手がないだけ、にしか見えないのですが、この百鬼丸は顔を取り戻すシーンから始まり(始めは顔もない)、聴覚を、声を、視覚をと徐々に取り戻していくのが
とてもわかりやすかった。
まるでテレビドラマのオープニングのように、アバンタイトルの後、一旦主要登場人物全員が主題歌に合わせ舞い踊るのも全体像を見せる効果があり、驚きましたが良かったと思います。
ちょっとこれは……と思ったのはその主題歌とあともう1曲、J-POPが何度もBGMに使われていたこと。J-POPが駄目だというのではないのですが、歌詞のある曲をBGMで使うとその歌詞が途中で切れるような形でフェードイン・フェードアウトしてしまうので、どうしても気になってしまいます。ミュージカルなら歌=セリフなので、そんなことにはならないのですが。
アニメと連動させてるのかも知れませんが、これはライブには合わないのでは。どうにかならなかったのでしょうか。

途中1回休憩が入りましたが、こちらではグッズは販売されずこれは残念でした。
東京の会場はスタンディングオベーション。
鈴木さんが座長として何度も挨拶されていましたが、回を重ねるごとに胸がいっぱいという表情になっていかれ、少しずつ百鬼丸が脱げていくのも良かったなあ。ライブビューイングは臨場感にこそ欠けるものの、事前のライブビューイング会場専用のコメントで言われた通り、顔のアップが大写しになるというメリットもあるのです(殺陣は全体を見せてほしかったけど)。
いやいいものを見ました。ちょっと今、鈴木さんにはまりそうで困っています……唐橋さん、もしや鈴木さん推し?

そういえば、みおエピソードを琵琶丸が語るところ、みおが百鬼丸に歌ってあげてたの「赤い花白い花」かな? 歌詞が違うようだったけど……
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