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LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

他のタイトルを考えていたのですが最後のイズが可愛かったので。ていうかイズの動作にぴょこぴょこ音をつけてるの誰なんでしょうか。とても可愛いです、ありがとうございます。

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unsplash-logoSandy Millar

人形とはひとがた、とも読み、かつては特定個人の形代として作られたもの。ならば当然、失った愛する人の姿かたちに作ったものを、身の回りに置きたいと考えるユーザーも出てきます。そもそも本邦におけるロボットアニメの代表作、「鉄腕アトム」からしてそうでした。いかに最新の技術が開発されても、そうした呪術的発想が、人の心から消えることはありません。
今回は純粋な親心でしたが、悪用されることも考えうるので、
「本人の承諾なく特定個人の容姿を模したヒューマギア」を禁じる法があるのも、これまた当然のこと()。
人間そっくりのヒューマギアを登場させた本作において、たぶんですが、このテーマは今回だけでなく、後々まで響いてくるはずです。
或人は「人の心を支える愛」をそこに見出すのですが……?

ただまあ、現代日本においては故人の人権は保護の対象になってない(どちらかというと遺族感情の保護のほうが主眼)ので、遺族が亡くなった我が子に似せたヒューマギアを用いることまで禁止できるのかな、という点は疑問です。判例を待ちたい。
わが子をかたどったヒューマギア

先週登場した声優事務所の社長。イチオシのタレントをこの度アニメ化される人気少年漫画の作家に紹介し、それが声優専門ロボということで
「便利な機械だ」と言わんばかりの対応を受けた際、やや複雑な表情を浮かべていました。というのも、この声優専門のヒューマギア・セイネは、実は事故で急逝した社長自身の娘(声優の卵)を模したものだったのです。あらゆる声色を使い分けるヒューマギアならではの性能とラーニングした演技力でたちまち人気声優となり、今回のオーディションにもヒロイン役で最終選考まで残っています。
「ゼロワン」世界では死者の顔をヒューマギアに摸す行為は、もちろん「本人の同意は得られない」ため違法となりますが、恐らくは妻に先立たれ、心の支えとしてきた娘をも奪われた、その孤独さが犯させた罪。
即刻逮捕しようとする不破を遮り、
「罪は認めている。3日だけ待って、最後のオーディションを受けさせてやってほしい」と時間の猶予を懇願する或人。
逃亡しない相手、今後被害を拡大させることもない相手なら、犯罪者といえどもむやみに逮捕する必要って、実はないのですよね(無罪放免ではなく、書類送検後裁判等が行われ刑が確定すれば収監される)。折れる不破も人情派。
そして、それをただ平和裏に終わらせないのが滅亡迅雷.netです。



迅の異様な無邪気さ、幼さ。
その理由も、<お友達>という言葉をことさらに使う意味も、明らかになりました。かれ自身がヒューマギアであったとは。
「親子の愛」に関心を持ち、自分もまた庇護されるべき存在なのかと期待する迅の愛らしさ。
迅によるセイネ襲撃は2回あるのですが、これを通じ迅自身にシンギュラリティが起こっていく様が描かれていきます。
「やめてくれ、これはわたしの娘なんだ」とセイネに覆いかぶさるようにしてかばう社長の姿に疑問をいだき、
「親は子供を守るためなら自分が死んだって良いと思うものなんだ」という或人の叫びに突き動かされ、滅の
「お前は守る必要がないくらい強い」「子供は親の言うことを聞いていればいい」という言葉に失望し……セイネを暴走させる手を、一瞬止め、躊躇う迅。時既に遅く、セイネ自身が変身を完遂させてしまうのを後悔の目で見送る迅。

かれの芽生え始めた自我を育むどころか、
「親離れが早すぎるぞ」の一言で、あっさりリセットしてしまう滅の対応もショッキングでした。
迅の身体を、ファルコンの翼が抱きかかえるような変身シークエンスもなかなかに意味深です。
育むとは親鳥が雛を羽根の下で庇護する、「は(羽)」+「くくむ(含む)」に由来する言葉ですが、文字通りのCGがなぜか親の意向にがんじがらめにされた迅、のように見えるのです。

ヴァルキリーもパワーアップ

ファルコンのキーをゼロワンから奪い、使いこなす迅と、カエル型に変身したセイネ、これに対しホッパーでは捕食者対エサ、という感じで、今回のゼロワンには勝ち目がぜんぜん感じられなかったのですが、乱入してきたヴァルキリーの強いこと!
「当社比 火力200倍」は伊達ではなく、水中に隠れたセイネに雷撃を見舞うシーンのCGが実に美しかった。不破さんがせっかく大地を揺らしたのに(あれあまり意味がなかったですね)ほぼほぼ1人でけりをつけてしまい、そして今回はホーネットなのに、なぜか最後は脚線美を見せつけるポーズで締めるのもよかったです。ラッシングチーターもそうですが、このライトニングホーネットときたら。ヴァルキリーの戦闘シーンは強さと美しさが両立していてアメコミっぽい仕上がりになっています。要は悲壮さがない。
いやわたし、悲壮なのも大好きですけどね。歯の立たない相手にぼろぼろにされるファムとか鶴子さんとか。臥薪嘗胆、ジャイアントキリングをやってのける麻生母子イクサとか。ただ今の所、ヴァルキリーの爽快さもたいへん魅力に感じるのです。

なお、ゆあにホーネットのキーを授けた謎の人物、すこし画面に映る範囲が広がってきました……12月あたりにその正体と恐るべき陰謀がわかってくる感じ?

イズ

ゆあに批判された己の甘さを心に刻みつつも、ヒューマギアが人の心を支える存在であることを、改めて噛みしめる或人。
「つまり何ていうか…………愛だね」
愛、と言いながらAIの2文字を身振りで描いてみせる或人を見て、幼子のようにそのまま真似てみせるイズが可愛い。その愛らしさに思わず吹き出しながら、アルトじゃないと、と締める或人の腰砕けっぷりが泣き笑いのようにも見えました。
果たして父、其雄をかたどったヒューマギアは、其雄の生前に作られたものだったのでしょうか。

解説!

こういう解説をしてくださる方はありがたいな……。
画面の隅々までよく見ないといけない作品だなと改めて。

姿かたちか人格か

ラスト、セイネを失った社長が、生前の彼女の声が聞こえるだけで喜んでいるシーン、かれがセイネに執着したのはそもそも姿かたちを娘に似せられる人形だからであり、セイネがシンギュラリティを起こそうが起こすまいがその事実は変わらないので、
「声や見た目が娘に似ていればなんだっていいのか」
「他の手段で声が聞こえるならセイネは要らないのか」
 と言われれば当然そうなのです。そうなのですが、AIに人格を見出して入れ込んでしまう視聴者としては何か哀しい。セイネ自体をちょっと惜しんでくれてもいいのにという気もしないではないです。それともあれは、セイネのデータなのかな。
或人はイズはじめ、ヒューマギア全般にどうやら人格を見出しているっぽいので、イズに何かあったときにはこんなふうに割り切れないのではとちょっと危ぶんでみたり。
10/7追記。誤字を訂正しました。セイネとセイナごちゃまぜで書いていました。
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