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LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

2号が希望するので遅まきながらジョーカー(字幕)を観てきました。
こんな田舎県でもハロウィンするんだなあという賑わいのなかで。もちろんピエロも結構いましたがジョーカーコスプレは見なかったな。

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Photo by Daniel Lincoln on Unsplash

感想文はネタバレにならない範囲で短めです(一部白文字にしているところはあります)。
「色々悲しくなりました」

……というのは同行の2号の感想。そうですね、まぎれもなく悲しい映画です。
しかし「バットマン」の登場人物はほぼほぼ全員これなわけで、皆がそれぞれに心に大きな傷を持っており、そのなかで膨張する闇が臨界点を迎えた時、ヴィランとなって再生する。それはバットマンことブルース・ウェインからしてそうであり、ゴッサム・シティは狂った都会そのものだという、そういう世界観なわけです。
希望と万能感に満ち溢れた強いアメリカ、若いアメリカが、ふと立ち止まって周囲を見回した時、己の歪み(富の偏在や人種差別、冷戦や経済戦争と形を変えた緊張状態の継続etc.)に気づいた、そんな国としての中年の危機と登場人物の不安や疑念を重ねたような描き方は、もちろんこの「ジョーカー」に顕著ですけれども、「バットマン」世界全体に見られるものです。

わたしたちがヴィランたちの悲しみ、苦しみを知りながら、楽しい勧善懲悪ものとして「バットマン」を長らく消費し続けてこられたのは、一つにはうまく物語の中に対岸の火事感が組み込まれてきたからだったのですが(たとえばキャットウーマンにせよ、いかに非人間的な環境のなかで搾取されたからって普通の人はあんなラバースーツを縫い上げて、着てくねくね歩いたりはしないわけです)、この「ジョーカー」に関しては「バットマン」が何で「ジョーカー」が何か、まったく知らない人でも構わない間口の広い映画になっていて、それだけヴィランの狂い方がリアルです。こういう描き方はヒース・レジャーのジョーカーからではないかと思いますが、実話です、と言われたら信じてしまいそうでもあります。ホアキン・フェニックスの振れ幅が大きい。実際に殺人ピエロの異名を持つシリアルキラーもいましたしね。
あと、恐らくですが観客が感情移入できない殺人(片思いの相手であった、若く善良なシングルマザーや、逮捕後に面接した心理カウンセラー)に関してはぼかして描いていた点も効いている気が。

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“殺人ピエロ”ジョン・ウェイン・ゲイシー自身が描いたピエロの絵

もう一つ、これまで対岸の火事感をキープできていたのは、観客の側に「自分たちの社会はここまで惨めでも息苦しくもない」という、何かそのような気持ちを強く持てる共同幻想があったように思うのですが、海外では乱射事件が跡を絶たず、日本でも「無敵の人」という言葉が登場したりで、いつ自分自身が、あるいは自分の隣人が、このようになってもおかしくはないかな、という感覚もあります。観客の受け取り方が変わってきているのは確か。

いずれにせよ狂ってしまうまでのアーサーが気の毒で気の毒で、いざ正真正銘のジョーカーが誕生したときには、
「ああこれでようやく救われた」と思いました。
哀れで惨めなピエロの時は滑稽で古ぼけたブカブカの服装だったのに、粋で洒脱な紅のスーツに衣装を変えたのは、笑われる者=アーサーから笑う者=ジョーカーへと、かれがポジションを変えたから。
得意満面なダンスステップの、独特の軽みと、その直後、警官に追われてすたこらさっさ、一目散に走り出すあの階段のシーンでわたしは初めて笑えました。

コメディアンは笑わない

アーサーには、時折発作的に、脈絡なく大笑いしてしまう病があるという設定がなされています。が、映画を観る限り、かれがこの発作にとらわれるのは何らかの緊張状態に陥った時です。決して脈絡なく、ではない。
そして緊張状態の緩和のために笑いが出てくるというのは、ある意味人間の本能でもあります。辛い人生のなかで、時折罪のない妄想に耽るのと同じくらいには。
「えっ、これって病気なの? 薬飲む必要あるの?」という気がしてつらかった。もちろん笑ってはいけない場面で笑ってしまうと、人を怒らせてもめごとの種になる可能性は高いし、それを回避するための薬なら飲めばいいけど、別に異常じゃないよと言ってあげてほしかった。大昔のイギリスでは「本を読む女」というのも治療を要する精神異常のなかに含められていたらしいのですが、そんなことを思い出しました。

ただ、そのような設定持ちであれば、コメディアンは絶望的ではあるかなと思います。
「このジョークは面白いよ」とコメディアン自身が笑いながら言うジョークほどしらけるものはありません(他のコメディアンのジョークに大受けして見せて観客の笑いを誘発するのはあり)。歪んだ母によって、歪んだ希望を植えつけられてしまった悲劇ではあります。
また、ピエロ本来の立場からすると倒錯的でもありますが、昔から道化恐怖症というものがありますよね、ただでさえ異様に大きく見開いた目、裂けたようにつり上がった口と、笑いの攻撃性を全開にしたビジュアルなのに、そいつがウロウロよちよちメソメソ、哀れに振舞って人の笑いを誘うならともかく、自分から大笑いしていればそれはもう怖くて怖くて仕方ないです。観客は笑うことができません。
かれのステージを見てコメディアンに向いてない、と評したマレーが正解中の正解。

アーサーの抱いていた自己承認欲求は、物語のラスト、富める者を憎む民衆のヒーローとなることで一応叶えられますが、かれ自身は不公平な社会を是正してやると言う気持ちはなく、ただいじめに抵抗しただけ、相手がたまたま裕福な証券マンだっただけ、の話なので、本懐とまでは言えないだろうな……
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