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LOVE! HEROES!

特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

日一日とCOVID-19による死者数が増加し、こんな田舎でも馴染みのショッピングモールも近くの塾も休業の看板を出し、コンビニではカウンターの上にビニールのパーテーションが垂れ下がり……という状況で、ごく当たり前のように書留や小荷物を届けてくださる配達員の方々、スーパーやコンビニの従業員の方々にはほんとうに頭が下がります。つい先年にはちょっとした災害にも遭遇しましたが、壊れた堤防を直し、道路を復旧させ、治安維持に務め、病人をケアし……と、実に無数の方々の働きの上にわたしたちの暮らしはなりたっているのだなと強く実感しました。その思いを今、新たにしているところです。
同時に、わたし自身も社会インフラの一翼である流通業界にアルバイトとして身を置いていた時には、
「こんなにたいへんな職場だとは知らなかった!」と驚いたり悲鳴をあげたり、そんななかでも淡々と最善を尽くし働き続ける同僚に尊敬の念を抱いたりしていたものだなと思いだしたり。

そのような、普段はほとんど意識することのない、しかし実は重要な職につく人々に感謝しようと、主に絵を描く方々の間で
#GratefulForTheHeros絵
#GratefulForTheHeroes絵
というハッシュタグをつけ、描いた絵をTwitterにアップするという運動が起こっています。そしてこれに対し、ある医療従事者の方が悲痛な抗議の声をあげられていました。ヒーローと祭り上げながら、その実、過酷な仕事を、そして恐ろしい病気への感染リスクを、甘んじて引き受けるよう医療従事者に圧力をかけているだけではないかと。
ちょっとわたしのまとめは大雑把なので、関心のある方は原文を御覧ください。
はじめのものは、このハッシュタグを提唱した著名な漫画家(わたしは知らなかったのですがドラマ化作品もあるとのことでこう呼んで差し支えないのではと思います)に対し、丁寧に疑念を呈する文章です。が、漫画家の方はそれに対し、レスポンスしていないのではないでしょうか。その後の一連の“つぶやき”にはもっと直截に、運動への怒りが示されています。

この日記は、この炎上事件を、あるいは漫画家を批判するものではありません。看護師の方の真摯な声にレスポンスしてないことだけはなんだかなと思いますが。

海外のヒーロー観

おそらくこの運動は、主に欧米社会で行われているクラップ・フォー・ケアラーズ(医療従事者らへの拍手を)などから想起されたものだと思います。が、私見では、英語社会と日本での「ヒーロー(英雄)」という言葉の意味は、じゃっかん違っているように感じます。

日本におけるヒーローとは、もちろんスーパーヒーローです。
誰もが悪に、あるいは災害に困惑するなか、敢然と困難な問題に立ち向かい、非人間的な力で、もしくは献身的な努力で解決する。人々は彼、もしくは彼女に頼りきり、大いに称賛する一方で、思うように助けてもらえない場合には即憎悪の声をあげる。
そこには守られるべき一般人と、守る一方のヒーローとの立場の違い、乖離が観られます。

もちろん、英語のヒーローにも、同様の意味合いがあります。お前にそんな力はない、無茶するな、とか、称賛ほしさに出しゃばるなという場面で
「Don't be a hero!」などと言うことがありますが、これも同じヒーロー観の裏返しと言えます。
ただ、別のニュアンスで用いられる場合もあるのです。

例えば、以前、コカコーラのCMで、「Super Heroes編」というものがありました。幼い子らを庇い、慈しみ、正しさを身を以て教え、あるいは社会の問題に全力で取り組むことで間接的に彼らを守る。スポーツで、音楽で、誰かの鬱々とした心を救う。そんなすべての大人はヒーローだ、ヒーローであろうという応援歌のような映像でした。
また、あるフィットネスジムのCMでは、そこに通うことで、自分は子供たちのヒーローになりたいのだと語る中年の母親が映し出されていました。どこにでもいる主婦が、フィットネスジムでダイエットすることとヒーローがどうつながるのか? と首を傾げてしまいますが、努力をして成果を出すという経験を通じ自分に自信がついた、今後は堂々とした大人の女性として子供たちの成長を助けたいのだ、くらいの意味でヒーローという言葉が用いられています。
「若草物語」など戦争を扱った小説では、銃後の女性たちが不安に心を折ること無く気丈に日々を暮らしていくことを指して「ヒロイック」という形容詞がしばしば用いられます。立ち向かうべき困難が戦争ではなく貧困などに変わっても、同様の用例があります。

要は心を強く持ち、誠実に、人に思いやりを持って生きることで人はヒーローになれるのだ、「自分たち」と「ヒーロー」は別物ではない、地続きの存在だ……という感覚も、英語のヒーローという言葉には含まれているわけです。

「彼ら」への関心の薄さ

医療関係者に対し拍手を送るというのは、
「看護師の子供は預からないでほしい」と保育園に抗議する(日本では実際にそういうことがあった)のに比べ、圧倒的に正しい行為です。ただ、欧米と比べると、日本では同じ行為をしても、純粋な感謝、もしくは称賛だけにとどまらず、上記のように「ヒーロー」と「自分たち」を分断し、自分たちだけを安全圏に置こうとする心性が含まれてしまうのではないかな、と感じます。まして、今回のこの運動はTwitterに絵を上げることで、直接的な拍手でもなんでもありません。忙しくSNSに目を通す時間があるなら休みたい“ヒーロー”の目にはほぼ届かない。独りよがりという指摘は否めません。

わたしは「仮面ライダー」が大好きで、基本的に東映のライダー作品について悪口を書くことはするまいと思っているのですが、以前、書いてしまったことが一度ありました。
平成ジェネレーションズ FOREVER」というのがそれで、
「仮面ライダーは架空の存在かもしれない。しかし信じる心があればそこにヒーローは存在する」という心強いメッセージを送ってくれる素敵な作品でもあるのですが、作中何箇所か、

・怪人に怯えつつもライダーが登場すると歓声をあげ、ヒーローショーを観戦している
 かのようにはしゃぎ声をあげスマホで録画する大人
・怪人に襲われて我が子を守ることもせずただ怯え、一転、ライダーが登場すると
 自分自身も子供に返ってライダーを応援する大人

といった、一般の大人の描写に気持ちの悪いものを感じてしまったのです。
あまりにも他人事すぎるというか、怪人に立ち向かえとまでは言わなくとも、ライダーが助けに来てくれたのだから勇気を持って我が子を庇い、安全なところまで逃げることくらいしなよと。

前回の日記で、中村優一さんが掲げた「#ヒーローが子供達を元気にする」というハッシュタグをご紹介しましたが、この時、まだ参加されていない俳優の方に、
「こんなハッシュタグありますよ、あなたもぜひ参加してほしい」と勝手に要望するファンもいたようです。
「わたしの大好きなあのヒーローがこれに参加してくれたらどんなにうれしいか!」という、そのファン心理はわかります。
が、これは中村さんらがご厚意で、自発的になさっているからありがたいのであり、ファンから要望するものではないと思うのです。
中には現在のお仕事に全力投球なさっている方もいらっしゃったはずです。個人的にそれどころでない事情をお持ちの方もいるかもしれません。こんな要望は、ヒーローとヒーローを演じる俳優を同一視し、自分たちとは「違うもの」と捉えているからこそ出てくるものでしょう。相手が誰であれ、ヒーローというレッテルを貼ってそれにふさわしい行動を要求し、彼らの状況、気持ちに想像力を働かせないというのは、思いやりある態度と言えるでしょうか。

雑な反論

先日、安倍総理が各戸2枚ずつ布マスクを配布する方針を発表し、これに対してネットでは反対意見が続出しました。わたし自身はこの施策に賛成ですが、何事も反対の立場の方がいるのはおかしくありませんし、それをネットでつぶやく方がいても当然のことだろうと思います。ただ、かなり雑な論が目立っていて、その点は残念でした。

例えば、いち早く設備投資してマスク縫製の体制を整えた一企業と金額を比較し、アベノマスクは割高では? 金の無駄では? というものが野党議員によってRTされてきましたが、一方は設備投資の額、一方は完成したマスクの購入価格+送付費用、これを単純比較するおかしさ。原材料費が計上されていませんし人件費を始めとしたランニングコストも利益も入っていない。マスクを縫製する人、できたマスクを2枚ずつ封入する人、それをダンボールにつめて各地へ配送する人、それをまた各戸へ配達する人……そうした人の存在を常に意識していれば絶対にしない間違いです。
あるいは、マスク配達の手段があるならそれを用いて現金、もしくは為替、小切手の類を配達すればいいだろうという意見。郵便局の利権が絡んでいるという勘ぐり。これもちょっと想像力を働かせれば、どれだけ的外れかわかるはずです。恒常的に少しずつ仕事が増えていく状況は善ですが、一時的にキャパシティをはるかに超える業務を命じられるという状況は何の仕事でも悪夢。加えて、他の郵便物に比べ配達が遅れればクレームの嵐となるのは確実でしょう。
今現在、マスクの販売に絡み、ドラッグストアの店員がその状況にあるのを見ても、かんたんな話ではないことがわかります。
また、扱うものが現金、ないし金券の類となれば犯罪者に襲われるリスクも高まります。そのような状況でも、郵便業務は割増料金や特急料金などを設定することができません。できないように法で定められています。
どこを見ても慢性的な人手不足に陥っている会社が、好んでやりたがる仕事ではないわけです。

思うにわたしたちは、身の回りの人、あるいは目に見える身近な人に対する共感や思いやりはあっても、普段お世話になっていることを意識していない、目の前にいない人に対する関心は、かなり薄いのではないでしょうか。そんな相手を、いきなりヒーローに祭り上げたら、それも「自分たち」とは違う、そういう役割の人たちだと切り離す形で持て囃したら……素直に
「励みになる」と受け取る人ばかりではないことくらい、想像がつきそうなものです。
東北大震災の時には、東北出身の漫画家が、それぞれに東北に思いを寄せるマンガを描き、それがアンソロジーとして出版されると、収益はすべて震災復興に寄付されることになりました。そんな展開をたどっていれば、まだよかったなと思うのですが。

前の日記にも書いたことですが、ヒーローに対しわたしたちにできることは、何かを要求することではなく感謝し、応援することだけ。ただ、それは子供の話です。大人ならばヒーローに勇気づけられた後は、自分もまたヒーローになろうと行動することのほうが、大事なのではないかと思います。それも、何も特別にかっこいい、称賛されるような行動でなくていい。心を強く持って日々を誠実に生き、子供たちには朗らかに笑顔で接する。周囲の人々、目の前にいない人にも関心を持ち、必要なときは助け合う。そんなものでいいのではないかと思っています。
同日追記。
同じくネットの海の中で行われた漫画家と医療従事者の会話で、こんな奇跡のような、幸福なものがありました。自分の心覚えに発端のTweetをここにコピーさせていただきますが、関心のある方はぜひスレッドを最後までお読みください。

さらに同日追記。本日4/18になり、元の漫画家の方が謝罪文をアップし、ハッシュタグでの絵の募集は終了すると言明されています。2日後のレスポンスがいきなりこのような形になったのは残念ですね。
4/26追記。羽海野先生のエピソードの中で完成した手洗いポスター(「3月のライオン」三姉妹が登場)が無事活用されていたので後日談として貼りました。
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