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やっぱりしたい名刺交換。「空想特撮映画 シン・ウルトラマン」観てきました

ウルトラマンはあまり履修してなくて、最後にテレビで観たのは「メビウス」じゃないかなあと思います。
どちらかというと仮面ライダーの孤独さとか、番組全体に散りばめられる怪奇趣味のほうが好みに合っていて、それに対してウルトラマンにはどこか完璧なヒーローというイメージがありました。
ただ、数年前に観た「シン・ゴジラ」があまりにも面白く、そのシリーズに連なるものなら、という興味で行ってきました。
結論から言うと

・とてもまじめですが、そこが面白い、です
・TVシリーズは観ていなくてもついていけます
・子供向けというより大人向け、というより旧作ファン向けです

わりと早くからテンポよくアクションシーンが出てきますが、同時に冒頭から文字での語りが続き、また中盤以降は「シン・ゴジラ」ほどではないにせよ、おじさんたちの早口の会議、ミーティング、プレゼンのシーンが続きます。現に劇場では小さい子は1人くらいしか見当たらず、50代(くらいの)男性率が高かった。

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ということで折りたたみ以降はざっくりとした感想文。というか日記です。
例によってあまりネタバレには配慮しておらず、といって詳細解説もできないのでネタバレを期待している方にも向いてません。
写真は映画パンフ(↓)にかけられていた帯、とお土産のSSSPボールペン。

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「後始末もしてくれたってわけ」

大昔「ウルトラマン研究序説」という本がありまして、TVシリーズで起こった事象をすべて現実に捉えなおした上で、各界の専門家が
「ウルトラマンが与えた危害についてハヤタ隊員は責任を負うのか」
「怪獣の死体処理は誰が行うのか」(
「科学特捜隊の人事採用はどうしていたのか」
等々、当時の法律や科学技術、組織論等の範囲でおおまじめに考察するという内容でした。
この「シン・ウルトラマン」を観ていて何度もその本を思い出していました。そのくらいまじめなんですこの映画。
疎いわたしですら見おぼえのある禍威獣が次々に出現し、その都度政府や科学者や自衛隊が試行錯誤しながら倒してきた歴史が語られ、その中で組織された「禍威獣特設対策室(略称:禍特対)」が新たに出現した禍威獣の処理に出動する。
そんな映画ありましたね

出動すると言ってもわんだばはありません
「シン・ゴジラ」同様実務を担当するのは基本的に自衛隊。現地に設置されたその作戦テントに場違いなスーツ姿の面々が現れ、自衛隊の部隊長と
「○○法第○条○項の規定により、本部隊は現時点より我々の指揮下に入ることとする」
「承知しました」
という堅苦しいやりとりを見せます。かれらが禍威獣をモニターしつつ、生物学的、および物理学的に対策を立て、どの法律を適用するかと対処していくさまには妙に納得感があります。自衛隊にない兵器が必要なときは横田の米軍基地から取り寄せるのですが、
「あ、請求は自衛隊のほうにね」みたいな台詞もあります。
わんだばの高揚感はなく、粛々と事務方がお仕事として禍威獣を片づけていく描写が続くんですね。

その上に政治が絡んでくるのも「シン・ゴジラ」同様です。
地球の中でなぜか日本にのみ発生する巨大生物、なぜか日本に真っ先に交渉を持ちかけてくる知的生命体(外星人)。
やれ責任を持って対処せよだの外星人の高度な技術はこちらに寄越せだの、各国からの外圧もやはり納得感がある。
その過程で
「郷に入らば郷に従え、ですよ」と外星人が名刺を差し出してくるのも、会議では妙に日本人になじみやすい提案書やプレゼン資料を出してくるのも、政府と条約を結ぼうとするのも確かにありそうな感じでシュールです。
この政治に禍特対の面々が抗うシーンなどで役名「政府の男」として竹野内豊さんが出てくるので、もしかしたらこの日本は「シン・ゴジラ」と同じ世界線なのかも……(と一瞬思いましたがそういえば斎藤工さんは「シン・ゴジラ」ではまた別な役で出演されていたので違いますね)。

その他、色々と散りばめられる印象的なエピソードは旧作から選ばれており、狡猾なキャラは今回も狡猾で、内面の悪辣さの割に外見が紳士的なキャラも同様に紳士的な振る舞いを見せます。
また、ウルトラマンがスペシウム光線を発するときは少し背を丸めた姿勢から一番最初のウルトラマンだなあとわかりますし、あくまでTVの事情でつけられた、本来の成田デザインにないカラータイマーは、省かれています。このあたり、いかにもきちんとおさらいしましたよ、可能な限り旧作を再現しますよという作り方がまた、まじめだなあと感じる次第。
なので本作ウルトラマンは3DCGですが、それは初代ウルトラマンのスーツアクター、古谷敏さんのオリジナル映像を忠実に再現するためなのでは……と思ったり。

「そんなに人間が好きになったのか」

リピア(=作中の「ウルトラマン」)、及び後から登場するゾーフィらは「光の国」という高度に文明及び倫理の発達した星から地球に来ています。
かれら外星人から見た地球人はまだまだ発展途上にあり、滅ぼしても大勢に影響はないというのが衆目の一致するところ。そのなかで

・騙して滅ぼそうとする者
・自らの支配下において統治しようとする者
・無用な干渉は避け見守りたいとする者

……とそれぞれのスタンスにより方針が異なってくるため
「手を引け」だの
「手を組もう」だのと、外星人同士のやりとりも発生して面白い。
光の国は倫理観が発達しているので干渉はせず見守る方針だったのですが、ある事情によりリピアが自らの高度な科学技術を地球人に提供してしまったため、
「このままでは宇宙的な争いが起こる。他の外星人に知られる前に太陽系もろとも消滅させよう」との結論を出します。
これを宣告する裁定者ゾーフィ(どうしてもゾフィ兄さんとか思ってしまうのですが今回は兄弟関係があるとは明言されてません)とリピアとの対話は哲学的です。
自らの命を捨ててでも他の生命を守ろうとする神永という人間への関心。
自分の不用意な行動がその人間の生命を奪ってしまったという罪の意識。
ならば自分も命を捨ててでも、地球と神永を守るべきではないのかという決意。

この後に続く、ゾーフィが放った最終兵器ゼットンの登場は、「エヴァンゲリオン」の使徒を思わせ宗教的です。
キリスト教における天使って、可愛らしい赤ちゃんや美しい女性の背に羽が生えているというイメージを持つ方もいらっしゃるでしょうが、「エヴァンゲリオン」の使徒とか、今回のゼットンのような不気味に美しく非人間的なものが描かれることも同じくらい一般的なんですよね。あまりにも強大過ぎる力を絶望をもって見上げた時、それはこんなふうに美しく見えるものなのかもしれないと感じました。
また、最後の戦いへウルトラマンを送り出すヒロイン・浅見の祈りにも似た表情も、こちらはもちろんCGではないし、とても人間的なシーンでありながらやはり美しく、両者の対比がとてもいいと思いました。

「要するにそういうことです」

本作のシンジくん(=神永新二)は完全無欠のヒーローになってしまったので諸々感情のアップダウンを見せるのは同じく禍特対の物理学者・滝の担当になってしまいました。わたしとしても一番感情移入してしまったキャラ。

禍特対は選り抜きのエリート集団であり、全員がいわば勝ち組でありそれぞれに一般人よりは強気であり勝ち気。
滝もまた、目の前で巨大な禍威獣が暴れていても、不思議な力を操る外星人が登場しても、おそれより何より知的好奇心が先に立つキャラクターとして登場します。難題にぶつかっても飄々と、というよりむしろ、いっそう楽しそうに見えるタイプです。神永が失踪しても浅見が巨大化してもその態度は変わらず。

しかし、ゼットンの威力にはさすがに、己の無力さに打ちのめされてしまう。動揺のあまりつまらないことを口走り、リピア/神永には八つ当たりし、かれが命を賭した作戦に破れ重傷を負うと、さらに己の情けなさに苦しみ……と、盛大に挫折を味わいます。
あくまで平常心の船縁や田村とは対象的です。

もちろんかれは後半、見事に失地回復以上の働きを見せるのですが、この大きな落ち込みの後だからこそ、必死の(滑稽にさえ見える)頑張りが魅力的。
このあたりから禍特対メンバーの互いへの信頼や思いやりが表出するシーン盛りだくさんで、仲間っていいなあと思います。

予告編が観られました

次の期待は「シン・仮面ライダー」。本日から劇場で予告編が流れたとのことでわたしも観られました!
おおこのダムは! となりました。昨日から大評判だったフライヤーをわたしも劇場でゲットしてきましたが、
「1人1枚まで」と注意書きされていました。かっこいいです!

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5/15追記。これってウルトラマンが人間を好きになってからのお話であって、我に返ると
「なぜそこまで好きなの?」ってなってしまうところが欠点かも……? と言いつつ、そこもほぼ、オリジナル通りなんだよなあ。
禍特対の面々はそれぞれチャーミングだし神永に対して仲間感を打ち出してくるけどウルトラマンの目から見たかれらはどうだったのか、そこをもっと描写してほしかったかな。
同じく5/15追記。樋口監督がなにやら舌禍をおこしているらしいけど、残念です。
追記部分ではわりとやんわり書きましたが書き直します。

映画はたしかに丁寧にTVシリーズをなぞっていましたけれども、全部を描くには映画という尺に無理がある。どうしてもダイジェスト版になってしまう。それを喜んで見てくれるのはやっぱりおたくなのでは?
「おたく向けじゃなく一般向けだ」というならこの脚本ではだめだとわたしは感じます。もっとエピソードを絞り込み、あるいはオリジナルストーリーとして、個々の感情の動き、とくに鍵となるリピアの想いを台詞でなくドラマで描かなければいけなかったのでは。どうしても、
「なんでリピアはそこまで人間が気に入ったの?」という点が気になってしまう。前知識なく本作を見れば、どう考えてもいちばんチャーミングに描かれているのはメフィラス。人間ではなく。そこが面白いのですが。


「あとしまつ」の制作陣にも同じことを思いましたが、どうも邦画って、おたく向け、子供向けに映画をつくったと見なされることを、避けようとしますよね。これは一般向けである、大人向けである、人間ドラマを描いたって言いたがりますが、その割には不要な恋愛要素、セクハラ要素を追加しているだけってなるのはなぜなんだろう。いちいち書きませんが(さっきまで書いてましたけど自分で書いているだけで気分悪いので消します)本作にも女性としてはなくもがなの部分、結構ありました。
「ああ、女子供に見せるために作ってるんじゃないんだな」ってある意味納得していたので、おたく向けじゃない一般向けだとか言わなければ、ふれないつもりでしたし。
5/18追記。ふと思い出したのですが、昔読んだ横溝正史で、「女優やファッションモデルなど、美しく著名な女性が次々に誘拐される」という事件を扱ったものがありました。被害者たちは数日間監禁され、その後殺され、美しくディスプレイされる運命にあるのですが、その監禁の間、彼女たちが絶望し、無力感に捉われるまでの過程を「入浴ができない」ということに絞り込んで描いているんです。肌の不快感やあぶらじみた髪のにおいによってどんどん人としての尊厳を失っていく過程が、鬼気迫る描写になっていて印象的でした。

自己肯定感とか、そういうものって、ちょっとしたことで保たれていて、割と気づかないうちに失われたりするんですよね。

読んだのは小学生の時で(だからタイトルも憶えてない)、数日間入浴できない事態も経験したことないのでへえ、という程度の感想でしたが、成人後、趣味の登山とか、あと、仕事が忙しく徹夜が続いて入浴できない状況になった時、あれってほんとうにそうだな! と実感しました。何かショックなことがあって精神的にスイッチが切れるというのではなく、ただお風呂に入れてないだけなんですが、少しずつ何か捨鉢な気持ちになっていって、お風呂に入った瞬間、ああこれがしたかったんだ! って生き返った気持ちになる。横溝正史の観察眼ってすごいなって思った次第です。

何が言いたいかと言うと浅見が職務に追われて
「今日こそお風呂に入れると思ったのに」と軽く愚痴るシーン、男性はピンとこないのかもしれませんが女性だとちょっと考えにくいなあと。だって彼女それでも化粧してたし服も清潔だった。
・忙しくてお風呂にも入れないのに化粧なんてやってられるか! ってなるか
・忙しいけど10分20分の暇を見つけてはボディタオル買って汗を拭いたり
 職場や近所のビジネスホテル、ネットカフェなどで何とかしてシャワーを浴びたり
 自己肯定感を保とうと四苦八苦しているか
どちらかだと女性心理としてすごく納得がいくなあと。

もう一つ浅見関連では服装。タイトスカートとパンプスのリクルートスタイルは社会人になりたての新人のようでキャリアをかわれて抜擢されたエリートに見えにくい。なおかつ職務内容からすればベタ靴とパンツスーツを選ぶほうが合理的です。

もちろんどんな職務・職位にも、テンプレ的な「社会人女性の制服」としてスカートスーツとパンプスを貫く人はいます。男性陣だって当たり前の革靴にスーツですから、それに倣っているだけに見える。ただ浅見は登場早々、通勤で履いていたスニーカーを職場でパンプスに履き替えるというカットがあるので、そこだけ見れば合理的かつ活動的な女性として描きたいのかなあと思ったのです。しかしその後はずっとパンプス履きっぱなし。アクションシーンですら。結果として
「舗装された歩道はスニーカーで歩くのに、山道を走って避難しなければならない可能性もある現場にはパンプスで行く人」
 になってしまいました……

細かいこと言うなあとお思いでしょうが、この手の細かい矛盾が、今回セクハラと指摘されているシーンに結びついてしまっているので、この辺り一般向けの映画なら、改良してほしいところではあります。旧作ファンやおたく、すなわち「かつての男の子」向けなんだったら、ああ女性のことはどうでもいいよなあと野暮なことは言わずこちらもそのつもりで見るのですが。
5/19しつこく今日も追記。
「ウルトラマン自身も自分がどうしてこれほど人間のことを思うのかわかっていない、そういう言語化されない原始的な感情の動きがいいのじゃないか」というレビューを目にして、なるほど作品としてはそういう鑑賞が正しいのかもしれないなあと思いました。
ただ、それにしても、そのように思わせるにいたった人間側の魅力がはっきりしていないと、かれの戦いが
「もともと好戦的でないのに……」とただひたすら一方的な献身、ないし恩恵に思えてしまい、そうしてそのような、返すことのできない恩恵に耐えられないわたしのようなものもいて、そこが子供の頃から落ち着かない所以なのかもしれません。仮面ライダーは戦わざるを得ない状況に必ず追い込まれるし、自分ごととして戦い始めるし、その異形を怖がる人間もいれば「おやっさん」のようなライダーを助ける側の人間も出てくるしで、人それぞれな点、安心して見ていられるというか。
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コメント 1

There are no comments yet.
秋津
2022/06/07 (Tue) 10:41

わんだば

「ワンダバ」は『帰ってきたウルトラマン』劇伴なので、初代『ウルトラマン』オマージュの今作に使用されてないのは当たり前かと。
むしろ、出動時に使用されていたら驚きます。

dvd box 観たらめも