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仮面ライダーはショッカーの葬儀を妨害するか?

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昨日は安倍晋三氏の国葬儀が行われ、それに関してだと思いますが、以下のようなTweetを目にしました。
あ、このところわたしがずっともやもやしていたのはこれだ、と感じましたので、政治と関係なく少し書いてみたいと思います。
なお、わたしが主に観ているのは平成ライダーまでで、令和は「ゼロワン」しか観ていませんので最新の特撮の動向はカバーできていません。

地獄大使の時代から

引用元のTweetには「例えば」とありますが、実はこの手のエピソードは特撮には既に、いくつか存在します。

葬儀とは若干趣旨が異なりますが、最も早いと思われるのは「仮面ライダー第79話『地獄大使!! 恐怖の正体?』(1972年9月30日)」。
長らくの間戦いを繰り広げてきた敵、ショッカーのなかで内紛が起こり、首領から裏切り者とされた最高幹部、地獄大使の処刑が行われることとなるのですが、何故かその立会人として招かれる仮面ライダー1号=本郷猛。
「絶対罠よ」
「地獄大使と言えば散々苦しめられてきた敵じゃないか」
 と止める支援組織=少年仮面ライダー隊の面々を遮り、
「地獄大使をむざむざ死なせるわけにはいかない」と言い切ります。

もちろんその背景には
・地獄大使がショッカーの方向性に疑問を抱き始めた? と思わせる過去エピソード や
・毒を操る怪人、ガラガランダの作戦行動をライダー側に密告する者がおり、
 それが地獄大使ではないかという本エピソードの展開
があり、あわよくば救出して味方に引き入れたいという計算がないこともないわけですが、取り敢えず
「へえあいつ処刑されるのか、いい気味だwww」的なありがちな軽愚の台詞は本郷や滝の口からは絶対に出て来ません。
当日も
「好敵手であったきみが快く立会人を引き受けてくれたことに対して、最後に一言礼を言わせてもらう。ありがとう」
「おれもきみの立会人に選ばれたことを光栄に思っている」
 と互いにエールを送り合うかのような地獄大使、本郷猛が場違いに爽やかかつ礼儀正しい。
本郷猛は生きている地獄大使の処刑を救出という形で邪魔しましたが、もしこれが死せる地獄大使の葬儀であるなら絶対にその進行を妨害することはしないでしょう。

敵を倒すか助けるかという行動の話ではなく、敵の死を厳粛なものと受け止めるか否か、生命への敬意とか礼儀正しさを持っているか否かといった在り方・態度の話です。

おそらくはわたしたちの多くは子供の頃から、
「これがかっこいいということなんだ」
「人はこうあるべきなんだ」
 と刷り込まれて育ってきているのだと思います。
 逆にいえば、死を軽愚したり辱めたりする行為には、その対象が誰であれいわく言い難い気持ち悪さを感じるように。

絶対正義の否定

その後様々な形で「敵の死を悼む」「敵の死を厳粛なものと受け止める」ヒーローの姿が描写されてきましたが、最新はおそらく白倉Pが言及している「ドンブラザーズ ドン29話『とむらいとムラサメ』(2022年9月18日)」なのでしょう。
妨害するどころか敵の葬儀に招かれて普通に出席し、普通に故人の思い出を語るヒーロー。
「ドンブラザーズ」はライダーではなく戦隊ですが、白倉Pや井上脚本と、製作者の多くは重なっているのでキニシナイ。

尤も特撮作品でのこうした描写には、絶対正義の否定、あるいは絶対正義への疑念も含まれているように思います。

まず、ほとんどの仮面ライダーは「敵」と「常人」のはざまの存在です。
ショッカー怪人として改造手術を受け、逃げ出した初代からずっと、敵と同じルーツを持つヒーローが、敵と同じ力を用いて戦っています。そのため、倒すべき敵が主人公やヒロインの敬愛する父親・上司・教師・先輩や友人となることも、とても多い。直接の対峙に至るまでにはもちろん、主人公側との心の交流がしっかり描かれ、積み重ねられています。
あるいは敵が罪を犯すに至る事情、経緯が丹念に描かれたり、悪事を犯す以外の場面では高潔であるとか献身的であるとか魅力的な人間性を持っていることが示され、魅力的な敵、憎めない敵、同情すべき敵とされるケース(「555」「ドライブ」「電王」)。
あるいは、互いにそれぞれの正義=欲を持っており、戦いとはそれがぶつかり合っているだけで、絶対悪も絶対正義もないのだというケース(「龍騎」「555」など)。

いずれの場合も主人公は敵を悪と断じきれず、むしろ愛情や友情を感じていることも少なくない。
逆に自分が正義だと信じることもできず、だからこそ相手が敵とはいえ圧倒的な暴力をふるう自分自身の罪に苦悩()する。戦わずに済む方法はないかと食い下がる(「龍騎」)。

敵に対し最も残忍になれるのは自分を正義と信じている人なのだそうです。
「これが正しいんだ、自分はこうすべきなんだ」
「あいつらはやられて当然なんだ」
 というエクスキューズによって、たがが外れた結果、どこまでも堕ちていってしまうのが人間だと、史実が物語っています。
その次は、まあ似たようなものですが残酷な行為をはたらくことを、自分の役割だと思う人。同じように
「自分はこうすべきなんだ」
「こうするほかないんだ」
 というエクスキューズを手にエスカレートしていく。これについては有名な実験が証明していますね。

自分が正義とは信じられず、結果として、
「仲間や無力な一般人が殺されそうになっていたから助ける」
「自分が襲われたから抵抗する」
 と、やむを得ず局地的・消極的な戦闘を一年繰り返す仮面ライダーの主人公たちは、これらの人々の対極です。かれらが既に決着のついた相手の死を悼むことはあれ、相手の葬儀を妨害し、侮辱する描写は、このあともまず見られないだろうと思います。

あたかも害虫駆除業者のような佇まいの「響鬼」だけはその手の苦悩に関係なさそうだったのですが、後半、鬼の力に淫してしまったかつての師匠との戦いというエピソードが盛り込まれました。

かっこよくいこう

葬儀の妨害を好ましく思わないのは、
「たとえそれが悪であっても人の死は厳粛に受け止めるべき」という人として最低限度の良識を欠くほどにエスカレートしてしまった自称リベラル、自称正義の側に立つ人たちの教条主義のグロテスクさを目の当たりにした気がするからだろうと思います。かれらは「凶弾に斃れ非業の死を遂げた人」の顔を的に射的を楽しみ、現行犯で逮捕された犯人のコスプレを楽しむ。それを仲間内で競い合い、称え合っている。極めて残酷な行為です。
しかし、主張が何であれ言論を以て戦い、批判し、抗議することと、それが許されている社会において敢えて正当な手段をとらずただ軽愚や侮辱に興じることは、別のレイヤーにあります。後者はむしろ
「福島の子どもたちの葬式デモ」
「れいわ党首の葬式パフォーマンス」
 と同じ、いじめでしょう。だって射的大会を楽しんだって世の中は変わりません。かれらの思う正義は行われませんし賛同者も得られません。なのになぜやるのか。その原動力は、自分たちは正義と思っているかもしれないけど、ただの目的を欠いた嗜虐心=欲でしかありません。
人間誰しも多少の欲はあるものですが、あんなにも無邪気に、なんのてらいもなく公衆の面前でただ自分の欲を追い求める姿を見せられれば、それは気持ち悪くなることもあるだろうと、ようやく昨日感じたものにけりがついた感じです。

逆に、日頃愚かしいと思っている人でも、
「葬儀に出席することを決断しました」とか
「献花の列に並びました」とTweetしているのを目にしただけで、
「いいとこあるな」と思ってしまう。
だからといってすぐにその人を支持しようとはならないし愚かしいという評価も変わりませんが、もう少しその人の言葉に耳を傾けてみようかという気にはなります。我ながらちょろいのかもしれませんが、
「人の死は厳粛に受け止めるべき」だという最低限度の良識を、共有できる相手だと思うからです。

よく人は上辺を取り繕うより真心が大事だと言いますが、真心はどうあれ上辺は取り繕わないより取り繕ったほうが絶対いいです。上辺だけでも、取り繕ったほうがいいです。自称リベラル勢のここ数年のなりふり構わなさ、悪趣味さを見て、ほんとうにそう思います。何が正しいかは知りませんが、何がかっこいいのか? は仮面ライダーに倣いたい。
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diary 優雅に生きたいけどだめ