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特撮番組全般、そして高岩成二さんと伊藤慎さんを応援します。

今日はいつにもましてチラ裏です。

ある方のブログで「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」という言葉を目にしました。
わたしは実は大学ではコミュニケーション論に関するゼミにいまして、そのせいで懐かしい記憶まで蘇ってきたりして。

コンテクストって何、という方もいらっしゃると思いますが、わたしの使ってた教科書では「文脈」って直訳されていましたね。
互いに共有される常識や話の流れから、話の通じやすい人と通じにくい人がいます。
敢て言及しなくてもその場にいる人にはわかっている、ということがあります。
そういうことを可能にする共通の常識・文化や、その場の状況・空気といったもので構成されているのが、コンテクストです。
従来の日本人は、その多くが共同体の中で非常に密着した人間関係を築き、そのなかで皆同じ生活を送ってきた…と言われています。

そのせいで、共同体の中には、相手が何か言おうとすれば、ほんの一言二言でもう全てが推察できる、何故そんなことを言ったか、発言者の意図・背景も理解される、そういう非常に密度の濃い空気が醸成されてきた…としましょう。

そんな状態で、言いたいことを隅々まで明確に言い切ってしまう発言者がいたとすれば、それは
「くどい」
と評価され、逆に、聞き手の中に察しの悪い人がいれば
「気が利かない」
と非難されるのが当然です。

日本人の曖昧にぼかす言語表現や、鑑賞者の解釈にその価値を委ねる短歌・俳句のような短詩形は、このようなハイコンテクスト文化あってこそ、だろうと思われます。

逆に、異文化のぶつかりあうアメリカのような国家で、
「全部言わなくても、わかるだろう?」
は通じません。
むしろ通じないのが当然。

である以上、発言者には、誤解の余地なく相手に情報を伝えられる、明確なメッセージを発する責任が問われます。
アメリカでディベートやディスカッション、スピーチのスキルが重視されるのはこのようなローコンテクスト文化があってこそ、であり、なかなかしんどそうではありますが、逆に聞き手の立場に立つと、かなり楽をすることができるわけです。

先ほど、「従来の日本人は」と書きました。
現代では生活様式や趣味志向の多様化は進んでいまして、特にネットでは、ふだん一緒にコミュニケーションをとっている相手とは当然考え方も知識も何もかも違う人を相手にすることがありますね。
ローコンテクスト社会への移行が一部で起こりつつあるのに、コミュニケーションのスタイルは相変わらずハイコンテクスト文化特有のそれであるわけで。

このような状況でも、表面的、社交的な会話を交わすのはそう難しいことではありません。
ただ、突っ込んだ話になると、かみ合わない、ことがあります。

例えばわたしがAという記事を書いて、そして、そのわたしに苦情を言いたい、反論したいという人物、Bが現れます。
Bの心情、意図などは、その語調から明確に示されています。
ところが、彼、もしくは彼女の言葉は論理的にAへの反論になってない(※)、と、わたしには思えた…とします。

※Bが論理的でないといっているのではありません。
 立場が異なりすぎてコンテクストを共有していないBの発言が、わたしには理解しにくい、という場合の話です。

これが…何とも返事に困るんですね。
もしかしたらBは、わたしに不明を詫びてほしいのかもしれませんが、納得しないまま
「すみませんでした」というコメントを返したって意味はないでしょう。
そういう慇懃無礼さは伝わるものですし。
だからといってわたしから今度はBに反論することもできません。
十分理解できないということは、賛同も反論もできないということです。

直接の対話であれば、
「ちょっと待ってください」
と声をかけ、わたしがどういう論拠からAという発言をしたか、などのメタ的な話をすることができます。
Bの考える正しさの評価基準と、わたしの考える正しさの評価基準が、そもそも根本的に違っているからこんなことになるのだろうと考えたりもできます。
Bの立場がいかなるものなのか、ということを伺えば、もしかしたらその言いたいことがわたしにも伝わるのかもしれません。

学生時代こんな表現をしていたかどうか忘れましたが…要は互いに異なる常識をすり合わせることも、リアルの会話ならできるわけです。
表情や声のトーンといったノンバーバルな表現で、わたしが別に敵意を持っているわけじゃない、ということを伝えることも、可能かもしれません。

でも、ブログコメント欄の限られたスペースでは、それはとても困難。

それでも何とか工夫して読み手との対話を続けていらっしゃるブログも時々見かけます。
ただ、それってBの立場に立つ方の協力が必要なんでしょうね。

早い話、苦情や反論を寄せて来られる方のなかには、元々匿名なのにかつ非表示機能を使って、その上で言い切り、もしくは1度くらいしかお返事してくださらない人が…いらっしゃるわけです。
こちらからお返事する手段がない。
一度は言ってみようと思ってくださったのでしょうが、それでわたしがわからなければ、もう見捨てられちゃうわけですね。
その方は元々、わたしと議論や対話がしたいわけではなかったのでしょう。
別に無理して全レスしなくてもいいじゃん、と言われれば、その通り、なのですが。

多くの人に向かって何かを言えば、思わぬ解釈をされたり、反論されたり、苦情を寄せられたりするのはつきもので、わたしはそのこと自体を厭ってはいません。
逆にブログを始めたからこそ出会えた人がいて、顔を合わせたこともない相手に、教えていただけることも多いのですから…
ただ、ああ見捨てられちゃったな、寂しいなと思うことも、たまにあるわけです。


同日追記。
別のブログで、
・非表示機能や匿名でネガティブなコメントがなされるというのは、ブログ主に対する閲覧者の信頼が低いあらわれではないか、とか、
・非表示機能を使ったコメントに対し、ブログ主からそのままコメント欄で返答しているのを見るのは不快だ(半公開という中途半端な議論が気に障る)
…との言及も見つけまして。
そうであれば非表示コメントへの対応も反省しなければなあと思ったりする、今日のブログ初心者です。
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style="clap"

成程と

ものすごく納得しながら読ませていただきました。
反対意見も賛成意見も両方あるから面白いとはいえ、そもそもの自分の意図した思いが伝わらずに相互理解がしえないというの切ないですよね。

2007.07.15 00:20 URL | 八重垣 #- [ 編集 ]

八重垣さん、いらっしゃいませ。

独りよがりな文章という自覚はあったのですが、お読みいただきありがとうございます。

そうですねほんとうに、切ないというかなんというか。
あと、異論を唱えることと攻撃とは一緒にされがちなんだなあとか、ですね。

色々勉強になってます、ブログ。

2007.07.15 19:28 URL | maki #mxyayG2g [ 編集 ]















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